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カテゴリ:イスタンブール日々新たなり
【7月26日・火曜日】 昨日の朝、10時までに会社から出勤依頼があったので、ほぼ完成したと言う翻訳本の組版の監修に出かけて行った。3年前の本を今年の日付で発行するので、挨拶文の献呈者・トルコ大国民議会議長が当時とは人が変わっていることで、名前の書き直しや、幾つか変更や訂正が生じることは分かっていた。 それと日本語文書に注意が必要な2行以上に渡る場合の区切り方や、行頭に閉じかっこや句読点などが来たり、行末に開きかっこが来ていないかどうかを調べる必要もある。 早速、組版担当のオメルさんの机の脇に座り、何十台もあるパソコンで、空いているものがあれば、それで日本語を入力したい、と申し出たら、何と日本語対応は1台もないという。 キーボードも実はまるきり違うので、日本語フォントだけをダウンロードしても、キーボードに表示されないのではどう打ったらいいのか、にわかには分からないかもしれない。私は帰宅して、夕刻までにオメルさんが私に送ってくるPDF文書を家で校正することになった。 帰宅の途中、買い物や用事を済ませ、家に戻ってさて、パソコンを開いてみると、既に一部のPDFが送られて来ていて、開いてみるとそれは読み取り専用文書で、そこに直接の訂正は出来ないのだった。あるいは私のパソコンが年代物で、対応出来ないのかもしれない。 PDF画面でワードのように訂正や編集が出来る機能をダウンロードしてみても、私が余りそう言う機能を理解していないせいか、どうやっても編集出来ないことが分かり、七緒さんにも教えて貰って、彼女の使っているアプリを送って貰ったが、それでも駄目だった。 一つもはかどらないうちに、とうとう猫達の餌の時刻ともなり、私も夕飯後にもう一度挑戦してみようとしたら、なんと8時過ぎにまたパソコンを開いたところでいきなり停電となり、「出たっ!」と思わず叫んでしまった。ああ、私がどうしても今しなければいけない、と言う時に、停電、断水が起こるように、なんで今の今、停電するのだ! いつ来るか分からない電気を待つより、少し睡眠をとっておこうと、外から来る薄明かりを頼りに電灯のスイッチなどを消して歩き、2つ3つ、電話連絡を取っておく必要のあるところにかけたが、チャージが終わると困るので、余り長話は出来ない。とうとう横になった。 いつの間にか、うとうとしたかと思ったら、廊下の電灯が付いているのに気付き、時計を見るともう12時になろうと言う頃。さすがにこれからパソコンに取り掛かる気にもなれず、シャワーだけ浴びて寝てしまったのだった。 これから出勤、いい天気です。車が来るまでどこで待とうかな。 わが家の窓はこの3ヵ月、まったく手入れが出来なかったので蔦で塞がれそうです。 ブラック・ウスタの店の商品(中古椅子)に座らせて貰い、会社からの迎えを待つ私。 このスニーカーは誰かに貰ったもので、私がFenerBahceファンなのではありません。 今日は自分のパソコンや周辺機器を鞄に詰め、会社から迎えの車を出してくれると言うので外に出て待っていた。ほどなく、職員のオザンさんが迎えに来てくれたので、変圧器まで持ち、考えて見るとACアダプターも付いているのでソケットだけを持って行けばよかったのだが、準備怠りなくふたたび編集のオメルさんの横に私のパソコンを置いて、会社のWiFiを使って作業を始めた。 するとまあ、とんとん拍子に仕事が進み、たくさんの写真のキャプションを読みやすいように改行して行くうち、オメルさんが次第に日本語の並べ方に慣れて、「ここから改行だね」とばっちり直してくれるようになった。 お昼には会社の社員食堂で、トルコの代表的賄い料理(ブルグル・ピラフとクル・ファスリエ)を私もご馳走になった。賄いのおばさんが、私がスープや料理の名前を全部知っているだけでも大喜びして、「毎週1回くらい何かお仕事で来られるといいわねえ」などと言い、きれいな薄い赤紫色のシェルベット(果物や野菜から作る甘い飲み物)をたっぷりと注いでくれた。これはレイハンと言う、シソの葉のような香りの高い葉物から作るのである。 美味しかったブルグル・ピラフとクル・ファスリエ。 デザートにスイカ。私が塩をかけて食べるとみんなが笑います。 スイカの向こうの水差し、赤い水分がレイハンのシェルベット。 食後にみんなが一服して、席に戻るとオメルさんが「これ、もしかしたら2日間かかると思っていたけど、この調子で行けばきっと今日のうちに上がるね」と言う。 「そうね、今日のうちに仕上げましょう」と私も張り切り、「加瀬ハヌム、どうして翻訳するだけでなく、組版まで知っているんですか」とオメルさんに聞かれたので、「よくぞ聞いてくれました。私は日本でも自分の小さな店で、日本語ダクティロ(タイプ)と英文ダクティロを生徒に教えていて、小さな印刷所もやっていたんですよ。日本で53年前に始めた仕事が、いまトルコで役に立つなんて、思いもよらなかったわ」と打ち明けた。 そして本日、ついに3時半頃には作業が終了、私はまたオザンさんの車に送られて帰宅、猫達に餌をやったあと、自分も何か作って食べようとしていたら、去年の11月に会ったきりの若い友人が、もしほかに約束がなければこれから会いませんか、と電話をくれた。 本当は明日の昼に会う約束をしていたのだが、翻訳の仕事も終わったことだし、猫の餌も済んでいるので私はすぐに着替えてタクシーを呼んだ。 うどんやさんで待ち合わせ、彼の友達のトルコ人夫妻も一緒だったので、4人で賑やかに鮨やうどんを取り寄せた。仕事がらみでヨーロッパを巡回しながら5月末にトルコ入りした彼も、6月7日のイスタンブール市庁舎のそばのテロ事件と、6月28日のアタテュルク空港と、今度のクーデターと、40日程度の間に立て続けに起きた、トルコの世界的大事件にはさすがに驚いていた。 やっぱり日本食はいいですねえ、とイスタンブール入りしてから トルコ料理ばかり食べていた彼がしみじみと言い、友人夫妻もご満悦。 しかし、私達は外国人でもあるし、「壁に耳あり障子に目あり」という、15日のクーデターのあとに始まったトルコの、かつてなかった重く暗い異様な空気に気が付いていたので、話もノンポリに徹して、さて、何を話したのかよく思い出せない程度のことしか話さなかった。 今夜もタキシム広場にたくさんの人々が集まっているようである。11時過ぎ、和食を食べた後、ホテルのテラスで、チャイを飲みながら、彼の今後の旅行予定なども聞き、帰国までにもう一度会えたら会いましょう、と約束し、チュクルジュマ・ジャーミイの前までタクシーで送って貰い、名残惜しく別れた。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年07月31日 15時11分27秒
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