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カテゴリ:イスタンブールで人と会う
【9月25日・日曜日】 昨日作った餃子の具は、きっちり半分ソフト冷凍にしておき、今日のお客様にも楽しんで貰うことにしていた。昨日のヘロヘロ・ユフカを使いきって、次回からはきっちりした棒餃子を作るようにしたい。 その女子会第2ラウンドのゲストは、朝11時半頃来るエブルの美樹さん、時間差で1時間半後に訪れる、ネット・ショップ「トルコセイ」管理人の和香さんと、お互いの仕事の発展のために協力体制を築いてほしい、という思いから私が紹介させて貰うつもりだった。 エブルの美樹さん Miki's Eburoom イスタンブールのパシャ日記 トルコセイの和香さん torukosei 今朝、私は張り切って今日の顔合わせが昼間なので、ノン・アルコールの飲み物を作っておいた。レイハン・シロップは茹でると青紫色の汁になるが、トルコ語でリモン・トゥズと呼ばれるクエン酸を入れると、見事な紅色に変わるのだった。 これがレイハン・シロップです。何ともいえぬ口当たりです。 レイハンをよく洗い、1,5リットルの熱湯に1時間ほど浸けておきます。 同時にリモン・トゥズ(レモン塩=クエン酸)を大匙摺り切り1杯位いれる。 砂糖は約200g~250g。レイハンの葉は取り出したら捨てずにあとで佃煮に。 見るからにきれいな、透き通った赤い色になりました。 美樹さんは8月下旬にはほとんど1人で引っ越し作業をし、昼間はエブルの師匠夫妻が外国に行った留守のアトリエを切り盛りしたりと、かなりのハードワークが続いていたので、バイラムにはバッチリと休みを取って近隣国への旅に出た。 その土産として、私にも豚肉製品を買って来て、届けに来てくれるのである。手のひらに乗りきれないくらいの大きさのボンレス・ハムのブロックと、チューブ入りの美容クリームを頂いた。どうもありがとう。 美樹さんも餃子は大好きなので、かぼちゃの煮物、大根の葉と白菜の浅漬け、レイハンの葉とヒジキの煮物などをおかずにして、レイハン・シロップを添えて楽しいランチが始まった。 美樹さん。棒状の餃子が妖怪一反木綿になってごめんなさいね。たくさん召し上がれ! セルフィーが普通のデジカメでは難しいです、見えませんので・・・ 料理が少し写っているのを撮りたいという願いで何枚も写し、やっとかなった写真です。 1時過ぎに和香さん到着、私達は先に食べてしまったので、彼女の分の餃子を焼いたら一番きれいに焼けたと言うのに、皿に裏返す時に失敗してグシャッと丸まってしまった。おおお、最悪。見栄えの悪いのを食べて貰ったので、写真は撮らなかった。 食後美樹さんと和香さんが2人でもろもろの話をゆっくり出来るように、私はレイハン・シロップをたっぷり置いて、自分は台所で鍋や皿小鉢を洗って過ごした。 美樹さんも和香さんも独立自尊の気概を持った女性達で、この1~2年で急激に襲って来たトルコの現状は、一般人の誰にも予測のつかないことでもあった。 和香さんのお持たせのパンプキンケーキで、紅茶でも入れればよかったのに、私は赤い水にこだわって、朝作った1.5リットルを全部出し切ってしまった。彼女は私達2人に、息子さんが夏休みに日本に行って、好きなごま味のドレッシングとラー油をたくさん買って来たのだそうで、それをプレゼントに持って来てくれた。息子さん、ありがとう。 美樹さんと和香さん、これからもよろしくお願いします。 お2人さんからのお土産、ボンレス・ハムのブロックと、ごま味ドレッシングなどなど。 このところ、非常に日足が短くなりつつあり、7時にはもう日没となる。6時にお開きとして、みんながいっせいに立ち上がり、私も上着を着替えて買い物袋を持ち一緒に外に出た。 火曜日からアンカラとコンヤからの来客2人がわが家で合流し、2~3泊することになるのでまず冷蔵庫の中に食材を満たしておかなければ、とにわかに台所を任せられた賄いのおばさんのように、買い出しに行く必要があったからである。 特にこの10月から、アンカラのさる大学の日本語学科で教鞭を取る予定だったミチコ先生は、夏休みで日本に一時帰国していた間に起こったクーデター未遂事件のため、勤めるはずの大学が閉鎖されてしまったため、いろいろ考えた末、日本に完全帰国の決意を固めたのだった。 2013年の10月から、単身コンヤに移り住み、その頃まではまだ人気の高かった日本語学科の開設を考える大学に就職も決まり、コンヤのツーリスト・インフォメーションで働く日本語青年ユジェルさんも、何かとフォローしてくれたものの、2014,2015年と次第に日本語を目指す生徒の数が減少し始めた。 そのため、2015年の秋、自らアンカラに赴いてとある大学を訪問、経験の深さなどを買われて採用が決定、アンカラに転居して、今年6月の前学期までは日土基金などの教室で臨時に教員を務めながら満を持して新学期の始まりを待っていた矢先にクーデターが起きてしまったのである。 トルコ人だけでなく、いろいろな人の運命を突然変えてしまった今度の事件。それでもミチコさんは、働くところがあったら、トルコにはもっといたかったんですよ、と言う。 イスタンブールに到着したら、たっぷり話をしましょうね、と約束したので、私もこの機会にわが家で大したものは作れないけどゆっくりおもてなししたいと思っている。コンヤでも何度か作ったので、また餃子かもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年09月30日 23時15分20秒
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