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カテゴリ:イスタンブールで人と会う
【10月6日・木曜日】 2泊3日などまことにあっけないもので、いよいよお2人さんとの最後の朝食の準備をしなければならなくなった。主食は七面鳥のソーセージを入れ、油気を抑えたあっさりチャーハンで、副菜には朝の献立らしく、モロッコいんげんを茹でてマヨネーズ和え、赤カブを千六本に刻んだサラダ、イタリアンパセリ入りの玉子スープなどを拵えた。 朝ご飯がチャーハン、でもけっこう手間暇かけるので美味しく出来たと思います。 ちょっとアップにしてみました。トルコ人がヒンディー(インド)と呼ぶ七面鳥のソーセージ入り。 ミチコさんと私。シワスとサフランボル、一緒に旅をしましたね。 2006年の早春に知り合ってから早や10年半、コンヤに行ったらこれからもよろしくね。 デザートには、フルーツヨーグルト。一番好きなのが紫色のこれ、 ボルトレン(ブラックベリー)とアフードゥットゥ(キイチゴ)。 ミチコさんは11時にわが家を出たら、天気もよし、トラムワイで一駅ながらカラキョイ駅で下り、カラキョイ波止場から連絡船で海峡を渡ってカドゥキョイに行き、カドゥキョイ・メトロスでカルタルへ、そこから高速列車の始発駅ペンディッキには、バスかタクシーで行ってアンカラ行き列車に乗るのだそうだ。荷物の多い旅だったら、こうも乗り換えが多くては本当に大変だろうと思われた。 廊下に出る前に、トルコ風に抱き合ってしみじみと別れの挨拶をし、アパルトマンの前のチュクルジュマ通りまで下りて彼女を見送った。ユジェルさんがトプハーネ駅までミチコさんを送ってくれたあと、戻ってきて最後にまた少し一緒に、将来のことなどについて話が出来た。 彼がもし2~3年先にドクター・コースのために日本に留学することが出来れば、石本先生夫妻やミチコさんと言う心強い味方がいることで、ユジェルさんの希望も一回り膨らんだ様子だった。彼のようにまだ若い、有能な人達がよいチャンスに恵まれますように、と祈らずにはいられない。 客用のシーツや枕カバーを外して洗濯し、干し終わるとさすがに少し疲れを感じて横になった。うとうとしていると電話がかかってきた。ナンバーだけが出ているが、未登録の人のようだ。とにかく「エフェンディム」と答えて見ると若い女の子の声がして、嬉しそうに弾んだ喋り方で何か早口にまくしたてている。 意識の朦朧とした私、相手が誰だがわからない。でも彼女は「この前、うちにいらしたじゃないですか~」と言う。14~5歳の女の子で、もしかするとコンヤのヌレッティン先生の孫娘、ファトマ・ニイメットちゃんかな、と思いこみ、10分以上、双方、トンチンカンなやり取りで会話が続いた。 いい加減喋ったあとでやっと気が付いた。コンヤじゃなくて、フローリアのアタテュルク空港のそばにある大きな園芸ハウスのメキシコ人オーナー、ルイスさんの娘、高校生のエスメちゃんだったのである。 彼女は今年の夏休み、兄と2人で日本に3ヵ月滞在して、日本語学校の基礎コースをみっちり勉強するはずだった。私が両親に頼まれて、東京の日本語学校の先生である友人のユカリさんを通じ、3ヵ月コースに申し込み寸前まで行ったのだが、6月7日のテロ事件と同じく28日のアタテュルク空港襲撃事件など大きなテロが相次いだことから、先行き不安を感じた両親から、1年先に延ばすように言われて日本行きを申し込み寸前で諦めたのだった。 果たして7月15日にはクーデター未遂事件まで起こり、世間は騒然としてしまったが、エスメ嬢の日本語熱はさらに高まり、タキシム広場のそばの日本語教室で初歩のコースでまる2ヵ月間、毎回単語を暗記するのみの授業なので、今からもう、来年に向けて両親を説得、学校でも同級生のゼイネップと2人、裕福な家庭なのでやはり来年夏こそは、とりあえず1ヵ月間の集中講座に申し込みたいので、どうか泊まるところや、学校の手配をお願いしますと言うのだった。 話しているうちにだんだん正気に戻ってきた私は驚いた。ミチコさんが帰国して一段落付いたら、日本語を習いに来る外国人、とくにトルコの人々を対象に、自宅をホームステイの出来るペンション風に改装し、学校から戻ったら予習・復習等をミチコさんが面倒を見て、短期間に効率的な勉強の出来るような施設にしたい、と話していた通りの生徒候補が、日本に帰らないうちにもう出現した、と言うわけである。 一所懸命に頼んでいるエスメ嬢に、 「安心しなさい、とてもいい家と家主さんに紹介するし、新宿の日本語学校にも手配出来るし、この前のユカリ先生にも、あなた方を受け入れるホームステイ先の奥さんも日本語の先生なので、1ヵ月間を有効に過ごせるようにお手伝いしますよ」と答えると、純真な日本大好きの女の子、エスメ嬢はるんるんになって喜んだ。 エスメ嬢の父、ルイスさんの園芸ハウスの空港側の庭園から見た、クシモト号の離陸直前の姿。 夜7時半頃、アンカラの自宅に帰り着いたミチコさんにこの話をすると、 「なんと幸先のいいお話しなんでしょう。来年の6月までなら、工事も済む頃でしょうし、その2人のお嬢さんは私が身元引受人になって、石本先生の交流会にもお連れしたり、土・日にでも都内の人気スポットなどに私が付き添って、見せてあげたいわ」と喜んでくれた。 この話はいずれ、都心の日本語学校教師・谷口ユカリ先生にも伝え、イスタンブールからはるばる日本に初留学する乙女2人の夢がかなうように手伝ってあげたい、と私も思った。 かくて2日間で昨日に続きまたまた日土交流の輪の中に首を突っ込みそうな私、二度あることは三度あると言うので、明日、明後日のうちにも、またそんな話が舞い込むことになるかもしれない。(予感がバッチリ当たります) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年10月14日 22時31分48秒
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