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カテゴリ:メフテル軍楽隊
【10月12日・水曜日】 昨日11日の朝は、イスラーム暦のムハッレム月(1年のうちの最初の月)で、トルコの家庭では女性達がよく「アシュレ」(別名をノアの方舟プリンとも言う)をたくさん作り、アルミの使い捨て容器などに盛って、ご近所に配る習慣があるので、私も以前は3つも4つも頂いたものだった。 アパルトマンの上の方の階は数年前からほとんどが貸家になっているので、そういう習慣も無くなってしまったが、今年も5階の11号室のお母さん、ハンデ・ハヌムが具だくさんのアシュレを作り、息子のレベントさんに持たせて届けてくれた。 ハンデさんの作ってくれた標準的なアシュレ、甘さもしつこくなく美味しい。 お陰で私も今年も人並みにムハーレム月の初日に伝統的なアシュレをご馳走になったのだった。 午前中、私は買い物をしておこうとジハンギルまで出て行き、油や醤油、台所洗剤など1リットル単位のボトル3本、それに野菜やブドウ、アシュレのお返しにバナナの上等品を1キロ余り買い、そのたもろもろで9キロにもなる荷物を買いこんで、チュクルジュマへの階段はきついので、やや遠回りになるが別なゆるい坂道から迂回しようとそちらに足を向けた。 ちょうどその時に、携帯にショートメッセージが来たので、荷物を地面に下ろして読んでみると、木曜日の夜7時から重要な会議を開くので、弁護士の事務所に集まって下さい、と、事務所の住所が詳しく書いてあった。 そこで今日の午後は、先週金曜日に続いて、メフテルと邦楽の共演についての件で、アンカラの箏の先生・末冨敦子さんから頂いた見解を、ウミット・デミルさんにもう一度出会って再確認することにした。 七緒さんも同行することになり、今月に入ってからもう3回目のメフテル・コンサートを観賞した。今日のキョスゼンはシェラフェッティンさんが担当していたので、そのバチさばきを七緒さんは、ずっと以前からちゃんと動画に収めて、Facebookページに掲載したいと言って何度も試しているのに、スマホが不調なのか、収録に何度も失敗している、という。 チョルバジュ・バシュとコーラス隊のチェヴゲン達。 メフテル・バシュの挨拶、曲目は7~8曲、演奏時間は22~25分くらい。 「オルド・マルシュ(軍隊行進曲)別名ジェッディン・デデン」が始まりました。 ここでシェラフェッティンさんのオハコ(十八番)、右手のバチの空中大回転が出ます。 バチが大回転するとき、右手の親指・人差し指しかバチを持っていません。 全部の指でしっかりつかんでいると、却って腕を回しにくいのだそうです。 戦闘場面ではすべてのパートが大奮戦ぶりを示し、キョスゼンも渾身の力で大太鼓を打ち鳴らします。 トルコ軍が敵を蹴散らし、勝利の挨拶をするチョルバジュ・バシュ 私の場合も、ここ数年続いたデジカメの不運で、メフテル・コンサートの最高の花形スターであるキョスゼン、シェラフェッティンさんの空中大回転を的確にとらえた映像がない。彼の手の動きが早すぎるので、動画で撮っていてもどんなふうに動いているのか、今一つつかめないのである。 コンサートの後、今日もまだ休暇中のデニズ少佐の副官、チェティンさんも非番で、コンサート・サロンを出る私達2人をカフェテリアまで送って来て、ボルゼン(トランペッター)のウミットさんが着替えて出て来るまで、チャイを取り寄せ、話し相手をしてくれた。 ウミットさんがほどなく私服に着替えてカフェテリアにやってきた。チェティンさんも混じって、いつかメフテル軍楽隊と邦楽の共演を実現させたいと言う話にチェティンさんは、我々ももちろん賛成だ、これからじっくり考えて行きましょうと、後をウミットさんに譲って一足先に別れを告げ、自分の執務室に戻って行った。 私達も今後メフテル軍楽隊に10月29日の共和国記念日のほか、諸行事があり、22日頃から今月いっぱいアンカラに向けて出発して留守になってしまうこともあり、年内に国家的プロジェクトである、ユーラシア・海底トンネルのオープンなど、出席すると思われる行事も目白押しに控えているので、慌てて行動するのは慎みたい。 7月15日のクーデター未遂の後、10月19日で終わるはずだった非常事態宣言も3ヵ月延長されたし、それらを鑑みて、日本とトルコの友好行事の企画は年が明けてからじっくりと取り組むことがよかろう、という方向で話がまとまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年10月21日 19時30分08秒
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