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madamkaseのトルコ行進曲

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2017年07月13日
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カテゴリ:メフテル軍楽隊


【7月13日・木曜日】


 昨日12日の午後、日本からグループ・ツアーの参加者として夫君と共にイスタンブールに到着したエリコさんは、昨年2月下旬、単身イスタンブールを訪れた折、前年Facebookでエリコさんと友達となっていた私が、当時まだメフテル軍楽隊の総務課長だったメティンさんに紹介したのだった。

「相次ぐテロ事件で、日本からはもうツーリストが来なくなってしまったのに、エリコさんは勇敢にもメフテル軍楽隊のライブをぜひ観賞したいと言われるので、メティンさんにお引き合わせしたかったんですよ」

 メティン総務課長は、暮れの26日にさる日本女性と正式に婚約を結び、軍楽隊の中でも彼女とイキンジ・バハル(二度目の春)を迎えて結婚も間近、と言うのは誰もが知るところだった。

 エリコさんもメティンさんとは初対面ながら、その日フィアンセと同じ日本人と言うことで格別に優遇され、来週もう一度イスタンブールに戻ってきたとき、また伺います、と約束したのだった。

 そして3月2日、二度目のメフテル観賞の日、私はコンサートより3時間も早くエリコさんを伴い、中庭の長い通路を歩いてメティンさんの執務室に向かっていた。

 すると、あと少しでメフテル軍楽隊の事務棟に到着する寸前、軍楽隊の最高司令官、ムラット中佐と、水曜ごとに行われている「シェヒットレル・アンマ・トゥレニ(戦没者追悼式典)のプロデューサー・ディレクター・司会者である、エルハン・アルトゥノク大佐が立ち話しているそばを通りかかったので、立ち止まって挨拶をしたところ、ムラット中佐が私を大佐に紹介してくれた。

 この追悼式典がしばしばテレビ番組などにも取り上げられるため、私も大佐のことはよく知っていたが、大佐はもちろん私のことは知らず、二言三言挨拶を交わし、その場を離れようとしたら、中佐が「加瀬ハヌム」と私を呼びとめたので、踵を返した。

 エルハン大佐も今来たばかりと見え、まだ私服だった。肩掛けカバンの中からバインダーに挟んだA4の紙束と1本の角ばったペンを取り出し、私の名前の綴りを聞いたので名刺を差し出した。すると見る見るうちに、私の名前を美しいカリグラフィー(アラビア習字、トルコではアルファベット)で書きあげ、私に手渡してくれた。多芸多才で有名な大佐からの思いがけないプレゼントだった。

 「お2人とも、ご都合が良ければ、2時から始まるアンマ・トレニにご出席ください。大佐からのご招待です」とムラット中佐は言った。

 メティンさんの部屋に行くと、彼は既に私達が追悼式典に招待されているとの連絡を受けているようで、腕時計を見て「おお、もう1時を回るところだ、早く食事に行きましょう」と言った。この前、エリコさんに「もしもう一度来られるなら早めにいらっしゃい、私がお昼をご馳走しますよ」と約束してくれていたのだった。

 そして彼は私が持っているのが、エルハン大佐からのプレゼントだと一目でわかったらしく、スチール製の書庫から書類を保護するフィルムを出してくれた。

 メティンさんは大急ぎで隣の敷地にある、ハルビエ・オルド・エヴィ(ハルビエ将校会館)に私達を伴い、びっくりしているエリコさんをせき立てるようにして、ビュッフェ・スタイルのランチ・コーナーで好きなものを取らせ、ガルソンを呼び、私達の分はテーブルに運ばせてくれた。

 ご馳走になって戻ってくると2時10分前、荷物のほとんどをメティンさんの部屋に置いて、私達は彼に連れられ追悼式典会場に行った。そこには既にデニズ少佐が待っていて、私達の席を自分の隣に確保しておいてくれたので、日本人としては初めての参列者だそうで、エルハン大佐の名司会ぶりに圧倒されながら厳粛な気持ちで聞いていた。

Erhan  
その日、通路に立ったままさらさらと書いてプレゼントしてくれたカリグラフィー

anma toreni  
式典の始まる直前、2人ともちょっと緊張しています。デニズ少佐と一緒です。

Erhan Albay  
エルハン大佐の名司会者ぶりに圧倒され、厳粛な気持ちです。

Erhan, Metin  
式典の終わり近くに記念撮影タイムがあり、私共もエルハン大佐、メティン課長と一緒に。


 3時15分前位になると、デニズ少佐が目顔で私達に挨拶して出て行った。メフテル・コンサートに出演するため、着替えに行ったのである。3時になろうとする頃、私達は軍事博物館の記録係のビデオカメラの前でインタビューを受け、そのあとはメティンさんに連れられて、真上に当たるコンサート会場に急いだ。

 コンサート・サロンはメフテル軍楽隊の紹介映画の上映中で、薄暗い階段式の観覧席に、ロープパーティーションされた一列の間を通り、反対側の階段に出たのだった。後ろからついて来るエリコさんを振りかえりながら、「階段があるから気をつけてね」と言った途端、自分の左足が階段ではなく、一段下の段への空間を踏んでしまったので、そのままがくんと転び、もんどり打ってごろんごろんと回転しながら、舞台の手前まで落ちてしまったのだった。

 エリコさんは後ろからそれを見ていて、ここに救急車が来て、でも間に合わなくて加瀬さんがお亡くなりになったらどうしよう、私のせいだわ、と考え、頭の中が真っ白になってしまったと言う。

 私は周囲の人々に手を引いて起こして貰い、すぐそばの椅子に腰かけた。その瞬間、映画が終わってパッと場内の照明が点き、人々が総立ちになって私を見ている。右手を心臓の上に当てて会釈するお礼のしぐさをしながら、顔から火の出る思いを味わった。メティンさんも私が転んだところを見て、駆け付けようとしたが場内が満員で、入り口のところで身動き出来なかったのだそうだ。

 総大将チョルバジュ・バシュが舞台の袖に登場し、右横のスロープ階段を、赤や緑のコスチュームを着たトゥージュ(指し物を捧げ持つ係)、バイラクタル(旗手)などが、大音響のアナウンスや、舞台の袖に待機したメフテル軍楽隊の演奏に合わせて行進を開始し、舞台に向かって下りて来た。演奏中に転げ落ちなくてよかった・・・

 それが去年の3月2日のことだった。



 さて、それから1年4ヵ月、エリコさんは再びイスタンブールの土を踏み、今朝早く夫君は初心者としてスルタンアフメット広場の歴史遺産を回るツアーに出た後、リピーターは夕方まで自由行動、と言うことになり、軍事博物館に駆け付けてくれたと言うわけである。

 あいにく昨年6月、転属命令の出たメティンさんは定年前の最後のご奉公で、イスタンブール郊外のとある駐屯地の副司令官として赴任、その前に共和国式結婚式を挙げ、晴れて宣子さんと正式に夫婦となって、新しい任地に去って行った。

 その代わり、メフテル軍楽隊大好きの私の友人國府七緒さんとも、FBで結ばれたエリコさんの願いがかなって、七緒さんも本日7月13日、軍事博物館でコンサートを観賞に来ることになり、それならいっそ、午後1時に軍事博物館の大砲の前庭で落ち合い、カフェテリアでお昼を食べながらコンサートの始まるのを待ちましょう、という約束になった。


 そして、エリコさんと七緒さんが初対面を果たし、私達はトーストを焼いて貰い、チャイや冷たい水を取りよせて、七緒さんに去年、エリコさんと私が中庭の通路を歩いていたら、エルハン・アルトゥノク大佐と出会って、戦没者追悼式典にも招待されたことなど語り合っていた。

 するとちょうどその時、またしても私の魔法の手が呼びよせたのか、カフェテリアの入り口からアルトゥノク大佐が入って来て、やあ、やあ、やあ、やあ、と言うことになった。

 大佐は私服のニッコウキスゲ色のシャツ姿で、気さくに私達のテーブルに来て、連れの軍人さんももちろん私服で並んで同じテーブルについてくれた。

 去年11月2日に、私はデニズ少佐からの招待で、七緒さんやタレントの小林正貴さん、イスタンブール大学の法科の先生、アイシェさん、さる雑誌の女性記者ディレッキさんなどを招いて、再び戦没者追悼式典に参列、アルトゥノク大佐と私も最初の出会い以来、FB友達となっていたので、時にはチャットで親しく話をすることもあった。
 
 私がエリコさんを示して「大佐、去年の3月、こちらのエリコさんもご一緒でした」と言うと大佐は、
「うんうん、覚えていますとも。そうだ、あの時は時間がなくて書けなかったけど、今日はあなたにも、七緒さんにもプレゼントしましょうね」とにこやかに言い、鞄からビニールコーティングされた紙束と、日本製だと言う特別のカリグラフィー用の筆ペンを取り出した。

 それにしてもエリコさんも大佐によくよくご縁があるのか、年に一度のイスタンブール訪問で2回とも普段はアンカラの参謀本部勤務の大佐に出会い、お洒落なカリグラフィーで名前を書いて貰い、とても幸せそうに「日本に帰ったら額に入れて飾ります」とうっとりしていた。

 大佐は実に多才なお人で、大学で文学の講師として授業もし、大きなイベントや、テレビ番組の構成作家でもある。詩人でもあり、詩集も2冊出版し、書物も出している。

eriko  
エリコさんのカリグラフィー。赤いポイントがお洒落です。

eriko  
エリコさんとツーショット、まだ書いている途中ですが、エリコさん、幸せ。

nanao  
七緒さんにもさらさらと流れるようなカリグラフィーで素敵なプレゼントです。

yumiko  
これは3月27日私の誕生日祝いに、色違いで5枚セットで贈ってくださったもの。感謝!

 
 エリコさんと七緒さんにも同じように書いてくれたあと、エルハン大佐はそれぞれ記念にツーショットを撮り、私には「来週また戦没者追悼式典があるので都合がついたらいらしてくださいね」と言って、最後に、ソーダの壜のふたで手品(!)を何回かやって見せてくれたあと、手を振りながらにこやかに去って行った。

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メフテル・コンサート、チェティンさんがメフテル・バシュを務めました。

mekon  
3人揃ってメフテル・コンサート観賞の記念写真


 大佐のお陰でそのあとのコンサートもとても楽しく観賞出来、エリコさんと私はタキシム広場方面に、七緒さんは用事を思い出した、と言うのでハルビエの交差点で別れ、タキシム広場では4時半から5時少し過ぎまで、家で飲む感覚のいつもの店、トゥルンジュ・パンパンでエリコさんとビールを飲みながら話がはずんだのだった。

 ********************

 かくてエリコさんや七緒さんから送って来てくれた写真も借りて、その素敵なカリグラフィーを見せて貰うことが出来ました。

 



   かに座さそり座いて座
かに座さそり座いて座



madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房)




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Last updated  2017年07月19日 21時30分43秒
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