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カテゴリ:イスタンブールで人と会う
【11月11日・金曜日】 起きるとすぐに台所のカーテンと窓を開ける習慣がある。いつも朝4時台、5時台なので当然真っ暗だが、今日は何と雨がしょぼしょぼ降っており、あまり寒くはないがやはり観光して歩くには、困った状態である。 私は朝、お客様の出迎えに家からタキシム広場まではタクシー、そのあとメトロでホテルの最寄り駅まで行き、出かけるにもメトロを利用して新市街の最後の駅で降りて、タクシーを拾い旧市街に入るように計画しておいた。旧市街の駅からだと、近過ぎて乗せてくれないからである。 しかし、イスタンブールの金曜日といえば交通渋滞の極み、しかも雨降りでは駅前、街角、大通り、どこに立って待っていようと通りがかりに空車を拾えるチャンスは滅多にない。 起きぬけにすぐタクシープールに電話し、予約を入れて8時に家を出たらそのままホテルまで行き、交通費の予算はちょっとオーバーするにしても、安全・確実、1時間近く早目にトプカプ宮殿の正門であるバーブヒュマユン(皇帝門)のすぐ近くまで行って貰うことが出来た。 予定のタイムよりずっと早く宮殿に着き、その分、せかせか追い立てられるように見て歩くのではなく、お客様の気の向いた通りに進んで行くことが出来た。 時折雨が激しくなり、まだ観光客の人影もまばらな宮殿の陶磁器展示場を見た後、宝物殿は改修中なのでパスするしかなく、奥の庭に入り、張り出したテラスから見事な海の眺望を眺めることが出来た。 トプカプ宮殿では、毎食2000人分くらいの食事を作って いたという。厨房には巨大な鉄の鍋が幾つも並んでいる。 コンヤル・レストランの上のテラスから見るマルマラ海。 カドゥキョイ行きの連絡船。まだ雨が少し残っています。 バーダッド・キョシュクの中。ムラット4世がバクダッドを征服した 記念に築き、事あるごとにこの小さな部屋で体を休めたという離れ。 前日のボスポラス海峡クルーズの時も次第に晴れて来たので、今日も雲は厚いがもしかするとまた時間が経つにつれて晴れるかもしれない、と言う期待があった。 果たして奥の院に当たるバーダッド・キョシュクのあるテラスに到達する頃は、傘も畳んで大丈夫、所々うっすらと雲の切れ間さえ見えて来たのだった。 ところが、一通り展示場の各広間やキョシュクを回り終わり、ハーレムの入り口に当たるディヴァーンまで来るとまた降り出し、最初に、去年から新しく公開されている「ズリュフュルュ・バルタジュラル・オジャーウ」に入っている間に、またかなり激しい降りとなった。 そこは、厩舎の手前にあたり、スルタンが狩りや他国への遠征の際は、大斧を手にして隊列の先頭に立ち、森や山道を切り開き、また外敵に対し、スルタンやその身辺の身分の高い人々を守る役目をはたしていた屈強な家来達の宿舎なのである。彼らは普段、ハーレムの薪の需要を満たすために奉仕していた。 アヤソフィア博物館もそうだが、トプカプ宮殿のように増築、増築を重ねた建物は、常にどこかの部分が修復中である。 ハーレム内部でも、ヴァリデ・スルタンのハマムなども修復中で見られず、ほとんど防災シートに覆われた部屋部屋ばかりで、ほんの一部しか見られないのだが、料金は割引にはならない。ハーレムの入場客があまりいないのも、こういう事情があるかもしれない。以前はハーレムに入るにも行列で切符を買うのが常だったのに。 トプカプ宮殿の入場料は40リラ、ハーレムでは別料金で25リラ、前庭にあるアヤ・イリーニ博物館も25リラの入場料を払う必要がある。アヤソフィア博物館等の入場料も40リラ、隣の敷地のスルタン達の廟は、その入場券を持っていれば見学出来る。 ところどころ休みながらも、12時半までちょうど3時間、見物して歩いたことになる。おとといも、昨日も入り損なったブルーモスクが残っていたので、お勧めすると「今日はもういいよ。私はいつかまたきっとトルコに来るから、そのときにお願いしましょう」 アヤソフィア博物館とブルーモスクの間にある噴水公園をもう一度見て、イエレバタン・サルヌチ(間違って地下宮殿と言われている地下貯水地)がそばにあるのでこちらも聞いてみると「もういい、充分だよ」とのお答え。 お昼も食べるのはやめて、すぐそばのトルコ絨毯やキリム、その他土産物の老舗、ユーリュックのオーナー、アルパッサンさんと弟のハサンさんを訪ねてみた。 アルパッサンさんは1994年に娘から紹介されて知り合って以来、22年のお付き合い。キベレ・ホテルを定宿にしておられたトルコ研究家の渋澤幸子先生を通じて、私がトルコに移住してきた95年以来、更に親しくして頂いている。お店の2階で休憩させて貰うことになった。 兄弟ともたいそう日本語が堪能で、しかも品のいい言葉づかい。もちろん、日本語だけでなく英語、スペイン語、イタリア語、その他何ヵ国語も話せる方々なのである。縦横大きなアルパッサンさんが私のお客様の話し相手を務め、昔の日本のことなどですっかり話がはずんでいるところに、ハサンさんがとびきり美味しいフィルター・コーヒーを淹れて来てくれた。 「トルコはいいところですね。どの人もみんな親切でいいですねえ。いつか私はまた来ますよ。」とお客様もニコニコして、昔からの話し相手のようにすっかり安心してくつろいでいるのが分かった。 伝統的なトルコの絨毯やキリムなども見せて貰ってから、私達は暇を告げた。雨はすっかりあがり、勝手知ったるスルタンアフメットの裏通りを抜けて、電車通りに出た。 カバタシュ行きが来たのでそれに乗り、フィニキュレルを経由して、メトロに乗り換え、3時頃ホテルに着いたので、お客様は部屋に戻って荷物をまとめ、私はロビーの一席を借りて、初日にお迎えに行った時、お父さんがそっくり私に預けてくれた封筒の中の観光費用を清算しはじめた。 それが終わったところに、シュッとした白皙の美青年登場、その人が友人の紹介で、何度かメールや電話のやり取りをした、息子さんだったのである。 挨拶をしたあと、清算についてちょっとした報告をすると、息子さんはすぐに用意して来てくれた封筒と、「多分お立て替え頂いたものがあるでしょうから」と、観光代の残額も持たせてくれた。 そこに、お父さんもロビーに下りて来て「加瀬さんのおかげでとてもいい観光が出来たよ」と息子さんに言ってくれた。私のカメラに収まっている何枚かの写真を後日送ると約束し、 頼もしい息子さんが迎えに来たので、口には出さねど嬉しそうなお父さんと別れの挨拶をして、私も帰り支度をした。 金曜日の夕方なので、道路はものすごい渋滞を起こしていたが、深いメトロの駅のエスカレーターが故障していて階段を下りて行かなくてはならないのが分かり、少し戻ってバスに乗った。 責任を果たせてよかった。渋滞しているバスの中でさえ、充実した気分でいられる。紹介してくれた友人にも、今夜はお礼状を書かなくては・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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