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カテゴリ:イスタンブール日々新たなり
【11月17日・木曜日】 旅に出る前に、今日やっておかなければならない用事で、回るコースを想い浮かべて見ると、てくてく歩いてこなせる距離ではないことが分かったので、猫の面倒を見て貰うアフメットさんに電話して、遠方の用事は彼にお願いしようと思った。 午後一番でやって来たアフメットさんはバイクで来たから後ろに乗りなさい、と勧めたが、私は二手に分かれるかどうかしてバイクの2人乗りだけは勘弁して貰おうと思ったのだが、いざ外に出て歩き出すと、空模様も怪しいし、こうもり傘を持っててくてく歩きながら、どれほど仕事がはかどるだろうかと思うと、やっぱり彼の勧め通りに後ろに乗せて貰うことにした。 カスク(ヘルメット)も用意してくれてあったのだが、何しろ足をバレリーナのように高く持ち上げられないし、短足過ぎてまずはシートをまたぐことすら非常に難しかった。道路の縁石の脇に停めて、少しでも高いところから乗るようにしたり、私の頭の鉢が大きいので、男性用のヘルメットですら、被るのにするっと頭が入らずまた難儀した。 最初はベイオール市役所の納税課に行ったが、ここ数年、毎年のように納税課が引っ越ししていて、行くたび違う場所に行くよう指示される。しかし今年は納税課の入居している今のビルに落ち着いたらしく、去年と同じ場所にあり、工事中であちこちシートが掛けられ埃だらけだった窓口が、きれいに電光掲示板付きで整備されたホールになっていた。 驚いたことに、窓口のカウンターが日本の銀行のように低くなって、支払いに来た市民が座って職員と対面出来るようになっており、紙コップにオレンジジュースやチェリージュースを入れたお盆を持ったサービス係員が回って歩き、ベンチで待っている市民に振る舞ってくれることだった。 パソコンでわが家の税金の納入票を作った職員が、にこやかに「ご足労さまでした。後ろの支払窓口で支払いをお願いします」などと言うのにも驚いた。支払窓口に回ると、去年も言葉を交わしたことのある白髪の職員が「ようこそいらっしゃいました」と言う。 「すみません、半年も納入が遅れました」と言うと、「何の、何の。ノープロブレム」などと、おじさんはにこにこしている。以前は娘が来る度、払っていたのだが、2年くらい全然来られなかったことがあるので、3~4年前から住んでいるのは私なのだからと、自分で払いに行くことにして、それ以来の顔見知りなのである。 郵便局や役所の窓口は、トルコでも上から目線で不親切、と相場が決まっていたような気がするが、これはいったいどうしたことだろう。みんなみんな親切で超優しい対応である。私はトルコに住んで驚いたことが幾つもあるが、2002年の秋、銀行へ水道代の支払い期限切れの請求書を持って、まだ受け付けてくれるかどうか、おそるおそる聞きに行ったら、入り口の警備員の青年が窓口に交渉してくれてやってくれることになり、待っている間に彼がチャイを運んで来てくれた時にはびっくりした。 私も若い頃、日本で銀行員だった時期があり、お茶など出して貰えるのは、山のように預金があるとか、貸し付けを常時利用している会社社長達に限られていたものだ。その警備員の青年とはその後たいそう親しくなり、私が彼と知り合うつい1ヵ月ほど前に地中海方面を旅行、私の写した写真があり、彼の故郷のアダナ県、ジェイハン川のほとりの村を写したものを見せてしまったがために、彼が急にホームシックとなり、転勤願いを出して別れが来てしまった。 しかし、彼が帰郷する前に一緒にベイオールで映画を見たり、バルック・パザールで食事をしたりし、親子の約束をしたので、その後私はテレビ番組の撮影で何度もアダナや隣のハタイ県に行くことになり、そのたびに彼や兄達の世話になった。まじめな彼はアダナの支店に勤務するうち、支店長に銀行員の試験を受けるように言われ、正式に行員として改めて採用になり、今でも私の大事なトルコ息子で、気の優しい職場結婚の嫁や双子の女の子までいる。 さて、話が横道にそれてしまったが、次に行った携帯電話の総代理店では、娘の電話番号は10年以上、私が管理していつも3ヵ月に1~2度、プリペイドし、今日まで保って来たのだが、娘も年に一度以下しか来られないし、今年の5~6月にかけてやって来たときも、友人とアゼルバイジャンやジョージアに出かけ、家には一晩も泊まらず仮眠しただけ、と言うほどなので、使う人もなく、私はうっかりして娘が帰国した後20リラ程度を補填しただけで、空港テロ事件あり、クーデターありのすさまじい日々にすっかり忘れてしまっていた。 一定金額を払えば、その番号を復活させることが出来るシステムもあるので、それをして貰いに行ったのだが、SIMカードは10年くらい前に私が居住許可証を持っていたので、自分の名義でバルック・パザールの小さな販売店で買い、V子用に使っていたのだが、番号の登録を見ると持ち主は私ではなく、別人の名義になっていて、私にはどうしようもない、と言うことだった。 年に4回も5回もお金だけ補填し、ほとんど使わないものだから何百リラ分も溜まっていた残高もきれいさっぱり消えてしまったようである。仕方なく新しい番号を買い、改めて私の名前で登録して貰った。正規の代理店で購入しないと、こういうことは往々にしてあると言う。 それから、ここに寄って、あそこに寄って、と5ヵ所くらい立ち寄り、バイクで来たお陰でとにかく用事が一通り済み、ジハンギルのスーパーでまたまた台所洗剤だ、ジュースだ、米だ、玉ねぎだと重いものばかりたくさん買い込み、バイクの後ろのヘルメット入れに収めて、あたりが薄暗くなる頃やっと家に帰り着いた。 アフメットさんにはお茶一つ出さないうちに、加瀬さんの用事さえ済めばもう自分の用はない、とさっさと帰ってしまった。アフメットさんが来てくれなければ、いまだにベイオールのイスティクラール通りあたりを、へとへとになって歩いていたかもしれない。 昨日から暖房を入れたので、家の中はぬっくぬく。いちゃいちゃカップルが4匹固まっています。 買って来たものを冷蔵庫に収めて、私は猫達に餌を配り、そのあと、キュタヒヤ行きのために小型スーツケースの準備を始めた。今年の夏、娘にアンタルヤの花万博や近くのローマ遺跡に連れて行って貰ったまま、放り出してあったので、ぼちぼち冬の着替えと下着を入れておかなくてはと思い開いてみると、あらあら、なんと今年の夏、いくら探しても見つからなかったTシャツや夏用の衣類が幾つも出て来たのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年11月26日 00時08分10秒
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