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カテゴリ:メフテル軍楽隊
【12月1日・木曜日】 11月9日にご案内した日本からのお客様の希望で、軍楽隊コンサートの後、総大将のチョルバジュ・バシュと軍楽隊長のメフテル・バシュの両雄と並び立つ記念写真を印画紙に焼き付けし、お客様には昨30日に郵送したので、この豪華なポートレートを、あの日のチョルバジュ・バシュ役のトゥラン・バシュチャウシュ(上席曹長)と軍楽隊長デニズ少佐にもお届けしようと、本日軍事博物館を訪れることにしていた。 今日は朝のうちに友人達幾人かと電話のやり取りがあり、またまた居住許可証の書き換えの時期が迫って来ている私も、これについての準備を始めないといけないので、こうした業務代行業のベイチェットさんと連絡を取るのに、SGK(健康保険機構)のオフィスで、数年前からお世話になっている係長のオメルさんに久しぶりに出会い、ベイチェットさんと連絡を取って貰った。 自分で電話くらいかけられなくはないが、あくまでも間に立つ人を立てて、時にこうして顔を出すのも礼儀の一つと心得る私には年中行事の一つのようなものだ。 朝のうちに電話をかけて知らせてはおいたのだが、果たしてオメルさんは久々に顔を出した私を見て喜び、すぐにチャイを取り寄せてくれた。少し四方山話をしてから本題に入り、ベイチェットさんが電話で言うには「1月に入ったら必要手続きを取るように、もう一度私に連絡してください。それからで間に合います」とのこと。 オメルさんの12,3歳になる娘さんにキュタヒヤから、ストゥク・ウスタの翌年人間国宝となったメフメット・ギュルソイさんの工房のザクロ柄の小鉢をお土産に持って来ていたので、それを渡して貰うように頼み、2時半くらいにオフィスを出て軍事博物館に向かった。 SGKのオフィスの前から軍事博物館まではバスでちょうど1ストップの距離です。 博物館沿いに歩く道すがら、どっかりと道端に座っているミディエに似た猫さん。 博物館の長大な建物沿いの植栽にある、赤い実のたくさんなる木。 千両や万両の仲間かと思いますが、日本の正月を連想させます。 学校が始まって校外学習の始まる9月末、10月初め頃から、軍事博物館には小中学生のグループが白い観光バスを10台も15台も仕立ててやってくる。メフテル軍楽隊のコンサートも超満員と言うことが多くなる。ことに月・火は博物館が休みなので、水・木・金曜日に子供達が集中するのだった。 朝のうち、デニズ少佐に訪問の目的を書いてメッセージを送っておいた。3時15分前にコンサート・サロンの扉が開くので少し待っていると、黒背広姿の警備員が階段の上り口を閉鎖していたロープパーティションを外しに来たので、子供達がドドーッと押し寄せて来ないうちに、真っ先にあと1階分の階段を上って上のホールに一番乗りした。今日は演奏を左側から見ようと、真ん中の列の前から3段目の5つ目あたりの椅子に腰かけた。 果たして、まもなく子供達の団体が高い天井をも揺るがすほどに、賑やかな声をあげて場内になだれ込んで来た。庭の駐車スペースに、10台を超える大型バスが並んでいたので、相当な人数が来ているようだ。 すると、3時5分前くらいにデニズ少佐から電話がかかって来て、「加瀬さん、どこにいますか」と聞くので場所を言うと「あ、見えた見えた、私はここにいますよ~」(え、ここってどこ?) 振り返って最上段の将校達の部屋に行く通路の方を見ると、陸軍のベージュ色のシャツに濃い草色のベストを着たデニズさんが、通路に立って手を振っていた。 「あ、私にも今見えましたよ。そちらに行きましょうか」と私も手を振った。 「いやいや、隣が空いているようなので私がそこに行きますよ」 私の周囲は小学生ばかりだったが、左隣の子がほかの列の友達のところに行ってしまったあと、ちょうど空いていたのを幸い、大きな少佐が身体を屈めて列に入って来て座ったので、そこだけ突然岩が出現したようになった。デニズさんは今月から週5日間の演奏日のうち、木曜日は舞台に立たずコンサートの様子を見るために、観覧席から舞台を見ることにしたのだそうだ。 3時からメフテルの小史を紹介する記録映画が始まり、デニズさんが映画に登場するメフテルの昔のメンバーの幾人かについて説明してくれた。1994年に和歌山に同じ飛行機で一緒に行ったメフテル軍楽隊の数人が、今も現役でその映画に写っているのだった。 この映画ももう、十年以上も前のものなので、これから新しいのを撮影して交換する予定ですと、デニズさんが言った。「デニズさんがメフテルにおられる間に出来上がればいいですね」「インシャーラー」 やがて、メフテルの皆さんの入場が始まった。今日は正規のキョスゼンのシェラフェッティンさんと、バハドゥルさんが2人とも用事で休暇を取っているそうで、別な隊員が大太鼓を叩いていた。 冒頭の曲イエニ・マラズギルト・マルシュ演奏中 最初は、ズルナとボルだけでしんみり聴かせます。 本日のキョスゼン、ファーティヒさん メフテル・バシュのバキさん、メフテル・バシュ姿がよく似合います。 コーラス隊チェヴゲンのみなさん 子供達で満席の場内、メフテル軍楽隊の演奏者もやり甲斐ありそう。 右はじの方にいるダヴルゼン(中大鼓)のみなさん 最初と最後の挨拶に登場するチョルバジュ・バシュ(総大将) いつも通りに22~3分で演奏が終わり、記念撮影の希望者が舞台に殺到しそうな気配だったので、少佐と私は出口への人波と逆の方向に歩いて、博物館と併設のコンベンション・センターを通りぬけ、エレベーターで降りて将校達の個室のあるメフテル棟に行き、デニズ少佐の部屋に行った。 すると隣の部屋の、デニズさんの補佐官のチェティンさんが呼び止めてくれて、彼の部屋でチャイを頂くことになった。さっそく持参した11月9日撮影のデニズさん達の日本紳士との記念写真と、デニズさんの郷里で生産された綿菓子、新鮮なピシュマニエの大箱が2つ手に入ったので、それを茶菓子に差し出した。 「こういう写真もいいですねえ。もう私など何年もネットで見るだけなので、いやあ、メフテルの舞台姿の記念写真をこうして見るのは初めてかもしれません」とデニズさんが懐かしそうに3枚の記念写真にしみじみと見入っている。コピーセンターで焼き付けして貰ったその写真は、長方形の長い辺が16.5センチ、短い辺が12.5センチもある大判で、分厚いマット(光沢なし)の印画紙だった。 チャイが届き、私達3人が綿菓子を味見した後、箱の一つはシヴィル・メムルの娯楽室に、手元の箱からは、付き人がアルミの容器に入れて総大将の中佐とレベント総務課長(メティンさんの後任)に届けた後、兵卒のみんなで味わうように、とデニズさんが付き人に手渡した。彼は喜んで私にも一礼し、すぐに仲間達の部屋のある階下に下りて行った。 さて、今日はコンサートを聴いて写真を渡したあとは、軍事博物館から出て、古い友人の山口まり子さんと出会うことにしていた。 4時過ぎに彼女から今着きました、博物館の入り口でお待ちしています、と電話が来たので暇乞いをしようとしたら、チェティンさんもデニズさんも私を押しとどめ「せっかくここまで来たのですから、その方にもここでお茶をして貰ったらどうですか」と言って、また付き人を迎えに行かせてくれた。 まり子さんも去年の9月初め、一度デニズさんの庭のチャイ・パーティに加わったことがあるので、すぐに打ち解けて5時少し前まで話が盛り上がった。 楽しい時間はあっという間に過ぎ去って、送迎バスに遅れないよう私服に着替えたチェティンさんや、デニズさんと共に大急ぎでメフテル棟から外に出た。送迎バスの駐車場の入り口で軍人さん達と別れ、まり子さんと私は正門から出て、交差点を渡り道の反対側に出た。デニズさん、チェティンさん、ありがとうございました。 「お2人とも位の高い軍人さんだと言うのに、どちらも気さくで優しいお人柄ですねえ」とまり子さんが感心したように言った。 まり子さんは私に可愛いピンク系の毛糸で編んだしっかりした帽子をプレゼントしてくれたので、私はそれをチェティンさんの部屋を出る時から早速被って、行きつけのカフェまで歩いたのだった。それには黒い毛糸で猫の姿を編んで、アップリケとして縫い付けてあった。帽子には名前も付いていて、「黒猫のタンゴ」というのだそうだ。 うちの娘と同い年のまり子さんとも8月末にタキシム広場のゲジ公園で弁当持ちのピクニックをした時以来だったので、いつも七緒さんと入るカフェの、たいそう完成度の高いケーキを味わいながら、チャイを飲み飲みあたりがすっかり暗くなる頃まで、どうすればいつも生き生きして暮らせるか、といった話題で過ごした。 「黒猫のタンゴ」とまり子さんが名付けたピンク色の帽子。 気分が華やぎ、ちょっとだけ若い娘になった気にしてくれます。 可愛い帽子を編んでくれたお礼にここは私に任せて、と言ったのに「それは駄目、私に払わせて」とまり子さんが押しとどめて払ってくれた。「悪いわねえ、では今日は有難くご馳走になります」と礼を述べ、7時過ぎに2人で店を出て右と左に別れた。今日も楽しい一日だったわ、まりこさん、ありがとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年12月04日 03時14分04秒
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