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カテゴリ:メフテル軍楽隊
【12月7日・水曜日】 夜明けの頃はまだどんよりと雲に覆われていた空が、晴れる兆しを見せて来た。今日はメヴラーナの追悼祭シェビィ・アルースの開幕を祝して、華麗なパレードとコンサートを行うため、メフテル軍楽隊も昨日の朝イスタンブールからトルコ新幹線とでも言おうか、瞬間時速250キロ超の高速列車で出発、午後にはコンヤに到着していたのだった。 今朝、私はホテルをチェックアウトして、荷物をすぐ近くのメヴラーナ広場の向かいにあるターヒルさんのバッカルに預かって貰い、ミニバスでクレシテというショッピング・センターでユジェルさんと合流し、3年ぶりの再会となる旧友デルヤさんを2人で訪問した。デルヤさんはアヌ・ホテルの娘で、小学生の女の子がいる。 デルヤさんの次には、アラエッディンの丘の麓に近いアタテュルク博物館の館長ヌレッティン先生を訪ねたら、前日からの約束で11時に会うことになっていたのに、10時にアポイントした先客が遅れて今来たため、そちらの話を済ませて、午後からゆっくり会って話そう、と先生が言う。 私も先生とは話をしたいが、遅れて来た人のせいで、時間どおりに来た私が待たされるのは困る、今日の午後のメフテル軍楽隊とセマーゼンのパレードに参加するためにはるばるイスタンブールから来たのだから、先生との会見が午後に持ち越される話はお断りした。 コンヤの子供達用のイスタンブール土産を先生の孫娘、ファトマ・ニイメットちゃんにも一つ置いて、ヌ先生とはほんの挨拶を交わしただけで博物館を出た。 さて、そこから歩いても7~8分のスープ店で、オクラのスープ「バーミヤ・チョルバス」で私が軽い昼を取る間に、ユジェルさんは近くのジャーミイにお祈りに行ってちょうど私が食べ終わる頃に戻ってきた。 私もすぐに店を出ようと財布を取り出したら、ガルソンが「もう、お友達に頂いています」とのこと。いや~、ユジェルさんにまた散財させてしまった。ありがとう、ご馳走さま。 アラエッディンの丘の前の大通りにはトラムワイが走っているが、丘の向かい側の国立農業銀行の前まで歩いて行くと、そこには大型バスが2台と演奏道具を運んで来たトラックが停まっており、あの華やかな色どりのコスチュームを着たメフテル隊員達がたくさん集まっていた。 ユジェルさんはメフテルの人々を見ると安心して、コンサートの終わる5時にまた待ち合わせる約束をして去って行った。 私がメフテル軍楽隊の人々に会いに来ることは総大将のムラット中佐、軍楽隊長のデニズ少佐とその副官のチェティン曹長くらいしか知らないので、隊員の皆さんがびっくりして、口々に聞くのだった。 「加瀬ハヌム、偶然通りかかったの?」とか、「加瀬ハヌム、あなたコンヤに何の用があるんですか?」などなど。 パレードは午後1時30分にスタートの予定だったので、軍楽隊はいつもの行進スタイルで隊列を調え、総大将チョルバジュ・バシュのムラット中佐を先頭に銀行の角を曲がり、メヴラーナ大通りのトラムワイの軌道をまたぐ格好で、並んだまま待機することになった。 ところがこのメヴラーナ博物館に向かって真っすぐ一直線のメヴラーナ大通りは、冬場は小高いアラエッディンの丘から吹き下ろす風の通り道であり、道の沿線にはけっこう高いビルもあるためまるで日が当らず、メフテル軍楽隊のコスチュームなど、舞台衣装だから薄く軽い生地なので、防寒の役には立たず、ほどなくみんな寒さに唇や頬が青ざめて来た。 アラエッディンの丘側からメヴラーナ大通りを進むパレードのために整列しています。 チンチンチンチンと警笛を激しく鳴らしながら行列の真ん中を通って行くトラムワイ 本来ならパレードがスタートする予定のちょうど1時半、高らかに警笛を鳴らしながらアラエッディンの丘方面からトラムワイが進入して来て、メフテル軍楽隊の人々が慌てて道を開ける中を、チンチン音を立てながら悠々と通過して行った。 おいおい、パレードなのに通行止めにしていないのかい、あ~、びっくりした、コンヤだなあ・・・ なぜ出発命令が来ないのかと言うと、挨拶を述べる副首相と、県会議員、県知事、コンヤ市長などのおエライさんご一行がまだスタート地点に到着していないとのことで、ノーマン・クルトゥルムッシュ副首相を待っているのだそうだ。 トルコでは、何かの式典に大統領や首相や閣僚が遅れて来るのは、重役出勤と同じで9時と言ったら9時に来ると沽券にかかわるのか、必ず大幅に遅れてやって来て、国民を待たせるのが当たり前なので、まあ、市民は内心はどうあれ、我慢して待つしかない。 セマーゼンだって回っている時は暑さも寒さも感じないだろうが、こんな吹きっさらしの日陰で待つのはたいへんだ。私はコンヤの冬場の寒さをよく分かっているので、インナーとして保温加工された日本製のTシャツを着ているし、腰には粘着懐炉を貼りつけてあるのでびくともしないのだが、衣装の下に厚手のセーターを着ていても寒いよ、と隊員の一人が私に袖口から引っ張り出してセーターを見せてくれた。 副首相ご一行様を待ちながらお喋りしているのはいいのですが、とにかく寒~い 私の左:ムスタファ・カヤさん、右:ユスフ・カサコルさん コーラスのベテラン ムサ・クルックさん(赤)。ナッカーレ(二連太鼓)のベテラン奏者。 上のムスタファさん、ユスフさんとこのムサさんが1994年以来の友。 トランペットの奏者アニーさん(赤)、レベント・クズさん(紺)、メフテルの 各パートのメンバーは、誰がチーフになっても甲乙つけがたい程のベテラン揃い。 待っている時間が長かった分、隊員の皆さんとソフベット(おしゃべり)がはずんだ。やっと副首相ご一行様が到着してスピーチも始まった。あと少しだ、とみんながみんな、1人の演説が終わるとホッとするのも束の間、自分達が遅れて来たことに気を使う演説者は一人もおらず、とうとう50分遅れで2時20分、やっとパレードがスタートした。 いよいよ総大将チョルバジュ・バシュのムラット中佐を先頭にパレード開始。 ズラリと並んだトゥージュ(錫丈手)やバイラクタル(旗手)の若侍達。 このトゥーという指し物は非常に重く、バランスを取りながら歩くのが大変そうです。 ♪お籠の傍には髭奴、毛槍を振り振り、ヤッコラサーのヤッコラサー(毬と殿様) 私はメフテル軍楽隊のパレードを追いかけて行くのは初めてだった。隊員の皆さんもう、冷え切った体温を取り戻そうとするかの如く、行進曲の幾つかを演奏しながらものすごいスピードで歩いて行くので、私は隊列の外側で、歩道のすぐそばを小走りに追いかけて行くのだが、何度も置いて行かれて、自分がまるで競歩の選手になったかのように、混雑している歩道を避けて道路際を必死で飛ぶように歩いた。 やがて、メヴラーナ広場に集結したパレード参加者や、メフテル隊員の周囲を取り囲んで追って来た市民達が、団子のようになって広場を包囲し、コンサートの始まりを待った。 私など聴衆の後ろの方にいた上に、背が低いので人の背中しか見えない。隙間を見つけては腕を伸ばしてカメラのシャッターを押してみるのだが、満員電車の中で写真を撮っているようなもので、写るのはどれもコートや帽子やマフラーのどアップだけだったりする。 駄目だ、と諦めてカメラをしまい、演奏を聴くのに集中しようとした時、前にいた長身の若者が、背中がむずむずしたのか振り返って私を見つけると、腕を伸ばし、私の手を取って、前に引っ張り出してくれた。 お陰で少し隙間のあるところに出たので、メフテル・バシュのデニズさんや、キョスゼンのバハドゥルさんを何枚か、撮影することが出来た。前に出して貰えたのは背のちっちゃい婆ちゃんの特典、ああ、年寄りでよかった~。 真直ぐなメヴラーナ大通りを行くメフテル軍楽隊の先頭チョルバジュ・バシュには、 旗・指し物の若い兵士達や、沢山の家来達が従います。おもちゃの兵隊さんみたい。 ついにメヴラーナ博物館のシンボル、世界にただ一つの緑の塔が見えてきました。 メフテル・バシュ、デニズ少佐の指揮でメヴラーナ広場にメフテル・マーチが響きます。 非常に力強いバハドゥルさんのばちさばき。新しいキョスゼンとして活躍中 右手を人々の隙間から出してやっと写したメフテル・コンサート コンサートが終わったとき「テシェキュルレル、ヤクシュクルム! (ありがとね、ハンサム君)」とお礼を言うと、彼はヤクシュクルと言う言葉に反応して、クスッと笑いながらウインクして去って行った。メフテル軍楽隊も退場の音楽を演奏しながら通りを渡り、メヴラーナ広場の北側にある墓苑の脇に停まっている、2台のバスへと去って行った。 それを見送り、私はまた広場の向かい側の、ターヒルさんのバッカルに行き、そこでチャイをご馳走になりながら、帰りの土産のコンヤ・シェケリ(砂糖菓子)などを買い、それをスーツケースと一緒に預けて、またミニバスでキュルトゥル・パルク(文化公園)に移動した。 そこで4時30分から5時まで、メフテル軍楽隊が2度目のコンサートをする、と昨日ポストニシンのファフリさんにスケジュールを教えて貰っていたのである。 その公園には、2010年の夏、今アンカラにお住まいの箏の先生、末冨敦子さんのトルコにおける一番弟子で、「イスタンブール芙蓉の会」を結成した寺田和可子さんと数人のお弟子さんが、初めての演奏旅行として参加してくれた思い出があった。 4時頃に到着した私は、いったいどこでメフテルは演奏するのだろう、とそれらしい支度のされている場所を探したが、見当たらず、変更になったのかなあ、と不安を覚えながら見まわすと、清掃係のおじさん達がいたので聞いてみた。 「メフテル・コンサートは正門の前の広場でもうじき始まるよ。いま、道具を並べているから行ってみな」と教えてくれた。 4時少し過ぎに正門の広場に行くと、音響係の皆さんが大道具を備え付けているところだった。4時半きっかりに50メートルほど後ろの方でいきなりトランペットやシンバルの音が聞こえ、入場行進が始まったのが分かった。音響のチーフのハイダルさんが道具箱の上に私の座る席を設けてくれたので、そこから見せて貰った。 第2回目のコンサート会場、キュルトゥル公園の入り口 メフテル・バシュ、デニズ少佐。市民にびっしり取り囲まれています。 キョスゼンを後ろ側から見ています。今日は短い間に2回も演奏で重労働でした。 途中、人事異動でイスタンブール郊外の駐屯地に移ったメティンさんに電話した。 「メティンさん、コンヤから生放送だよ~!」と言うと、「わっはっは~!」とコンサートの音響にも負けない大声で笑い、「ユミコさん、ネヴァル、ネヨク?(何してる、元気かい?)」と聞いた。 私は前方に聳えるアラエッディンの丘を見ながら、メティンさんと仕事上で知り合い、格別に私に親しみを見せてくれたお陰で、22年のメフテルとの付き合いが、今日のように非常に濃密なものになったのだと改めて思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年12月29日 04時34分29秒
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