|
カテゴリ:チュクルジュマ界隈のこと、または猫ばなし
【1月10日・火曜日】 昨夜からもふ男を案じて何度も寝たり起きたり熟睡出来なかったので、今朝寝床から離れたのは8時半過ぎだった。台所から昨日もふ男が座っていた向かいの窓を見てみると、おそらく隣の家の奥さんが入れてくれたと思われる、赤いタオルケットが差し入れられていたが、猫はどこにもいなかった。 もふ男はどこに行ったのやら、どこか雪と寒さを防ぐ場所に行っていたのならいいが、やっぱり姿が見えないのが気になる。きっと凍死しないで済む場所があったのだと思うことにした。雪はやむ気配もなく、吹雪でこそないが切れ目なく降り続いていた。 朝食はまた昨日の赤飯と澄まし汁を温めただけで済ませる気だったので手間はかからないが、昨日僅かな時間であっても、膝までのめり込む雪をおっかなびっくり踏んで、猫の餌場に行ったことで、足腰にかなり顕著に疲労感・倦怠感が残っていた。 せっかく家にいられる自由時間だと言うのに、しかも停電も断水もしていない、という絶好のチャンスなのに、バリバリ大掃除をしようと言う元気が出ないまま、ガス台を掃除したりしていたら、10時少し前、ウスキュダルのアフメットさんから電話がかかって来た。 「加瀬さん、私はマーケットに行くので、あなたの必要なものがあったら届けてあげますよ。何か足りないものはないですか」 「あら、ありがとう。私の食べるものはストックをやりくりしているし、猫達の餌も今週末まで大丈夫。聞いてくれてありがとう」 じゃあね、と彼の親切に感謝しながら電話を切ろうとしたら、それを遮ってアフメットさんは言った。 「実はもう買い物をして、ウスキュダルの船着き場に来ているので、テクネ(小型船)が着き次第、乗ってそっちに行きますから、家から出ないようにしなさいよ、危ないから」 私が2日以上留守になる時、猫の面倒を見に来てくれるアフメットさんにとって、私は一番大きな老齢の猫らしく、何かと世話を焼いてくれる有難い存在だった。 私は白菜やジャガイモ、玉ねぎ、人参、カブ、ブロッコリーなどと冷凍しておいた鶏肉のささみを、ことこととサトイモ、豚肉、牛蒡なしのけんちん汁風に仕立てて、寒い中やってくるアフメットさんに振る舞おうと煮込んでおいた。 野菜たっぷりのこんな汁もの、けっこう行けます。 この大雪の3日間、空、陸、海のほとんどの交通機関が影響を受けて、日曜日などトルコ航空初め空の便はほとんどが欠航し、海上交通も長距離フェリーボートやシーバス、連絡船の多くが時間どおりの運航が出来なかった。 マヤを亡くして以来、私が落胆していると思ってアフメットさんは何かと元気づけてくれるのだが、かつて、日本企業の販売代理店で10年ほど働き、優良社員として当時の日本人副社長に表彰され、高く評価されたことが彼を生涯の日本びいきにしているのだった。 私も彼が到着する前に、もふ男がどこにいるか手がかりをつかみたいと思い、餌を置いた場所に残りの量を確認に行き、補充用にキャットフード1キロほどを袋に入れて、またヒマラヤ行きのように重装備で家のドアを開けようとした途端にチャイムが鳴った。 ちょうど牡丹雪が間断なく降り続けていて、アフメットさんも毛糸の帽子は真っ白、寒さに鼻の頭を赤くして大きなビニール袋と、小さめのビニール袋を私に差し出した。 「えええ、こんなに?」と私が驚くと、彼は小さい方の袋を先に差し出し、 「コレ、ニク、タマゴ、ワタシ、コロンダ、タマゴ、クワレテマス、レイゾーコニイレル、チャブック(すぐ)」と最後だけトルコ語で言って私を急がせた。 卵はクワレテイマスではなく、壊れています、と言いたかったらしく、私はすぐにそれを台所に運び、肉は冷蔵庫にしまった。山賊オグリが流れ出た卵白のにおいをかぎつけた様子だった。大きな袋は相当に重く、受け取った途端にずしりと腕が下がった。 「野菜のスープを飲んで行きませんか」と声をかけたら、アフメットさんは手を振ってけっこうです、と言った。 「加瀬さん、ゴミなど捨てたいものはありますか?」 私は下に下りるついでに、大きなゴミを3つも捨てるつもりでいたので、申し訳ないながらそれをアフメットさんにお願いした。 「加瀬さん、クスラバクマユン(ごめんなさい)、私は何か食べて行くつもりはありません。いつもそうです、私のことは何も心配しないでください。じゃあまた!」と言いながら、彼は大きな3つのごみ袋を軽々とさげて、階段を急ぎ足で降りて、さっさと帰ってしまった。 私も急いで彼の持って来てくれた大きい方の袋から中味を取り出した。重いはずである。中味は米と、ひよこ豆とうずら豆の水煮の大きな缶詰や、大きな丸パンやおやつ用に干しアンズ、玉ねぎ、じゃがいも、人参まで2~3個ずつ入っていたのだった。 アフメットさんが差し入れてくれた陣中見舞い。有難いことです。 牛肉の薄切り。卵は3つ、クワレテ(壊れて)イマシタ。 それぞれの物を適切な場所に収めて、私はまた手にキャットフードや傘やデジカメを持ち、アパルトマンの外に出た。 その頃は少し牡丹雪も小降りになって、奥の通路には入れないが、前日に置いた餌が確実に減っているのを見て、また同じところや、通りの向かい側の骨董屋の庇の下などに1キロ分を小分けして配って歩いた。 すると、馴染みの猫達が1匹2匹、3匹4匹とあちこちから姿を現し始めた。私が2007年の4月に日本に1ヵ月くらい里帰りした時、娘に連れて行って貰ったミュージカル「キャッツ」の、夕方になると夜の繁華街に姿を現す猫達を描いた一場面を思い出した。 ボス的風格のあるキジ男くん。甘えています。 表通りのマドンナ? マミーはサビ猫、ころころしています。 通りの向かい側にある大工のブラック・ウスタの木工所は、今日から仕事を始めたとのこと、見習いの少年、15歳のオヌル君と雪の記念にツーショットを撮り、まだとうてい普通に歩ける状態ではない雪道を渡ろうとしたら、上からも下からも車が来て、上からの車がバックしようとしたのが動かなくなってしまった。 大工の見習いとして働くオヌル君。15歳くらい。素直な可愛い男の子です。 2台の車が上から下から。上の方にバックするにも雪が邪魔して・・・ 運転手がシャベルで周囲の雪をかき分け、かき分け、やっと雪をどかして動き出すまで見てしまった。私はそういうのを結果を見ないままでは、安心して自宅に戻れない性格なのだった。家に入ってから、しばらく連絡していなかった友人に電話をかけながら、台所の窓から覗くと、もふ男のいた窓に彼が戻って来ているのが見えた。 おそらく隣のビルの女性が赤いタオルを置いてくれたのだろう。もふ男はそこに座り、ついにビニール袋の中のキャットフードを見つけて食べているのだった。やがてもふ男は見ている私に気付き、窓の端に来て、こちらを見ながら何度もミャーミャーと鳴いた。 赤いタオルの上で、キャットフードも食べて元気になったようです。 遅い時刻ですが自分もランチにしました。けんちん汁と黒いパン(これが美味)。 私も安心して自分も遅くなったが、けんちん汁をおかずに、アフメットさんのお土産のパンを切って昼ごはんにした。幸いに家には11月末にチョルル市へ墓参りに行った時、土産に貰ったあんずジャムやぺクメズと言う、パンに塗るにはもってこいの品があった。 驚いたことに、けんちん汁のどんぶりを下げて行った時、台所の窓から見るともふ男は、向こうのビルの方から30センチ以上積もっている保育所の庭を歩いて渡り、滑り台の下に移動して来ていたのである。 夕方早めに、4時を過ぎた頃、家の猫7匹にも缶詰を開けて食べさせた。もふ男にも1食分をラップにくるんで滑り台の下の空間に投げ込んでやろうとしたら、もとより運動神経が鈍くてコントロールが悪いため、塀の向こう側には落ちたのだが、滑り台よりずっと手前の雪の中に落ちてしまった。 もふ男は雪の上を歩いて庭を突っ切り、滑り台の下に入っていました。お利口さん! 家の7匹に、肉の缶詰を食べさせています。これが人気で、猫まっしぐら! もふ男にも沢山投げてやったのですが、うまく的中したのはただ1回。 わ~い、もふ男はやっと分かったようです。自分で雪の上に乗って 手前に落ちた2つの餌をちゃんと見つけて食べました。お利口さん! 雪に穴があいているところからは、ソーセージが出て来る筈なのよ。 キャットフードも幾つも包みを作り、下手な鉄砲もなんとやらで、滑り台をめがけて投げているうちに、ほとんどが雪に埋もれてしまう中、一つがうまく猫の足元に届き、それを夢中で食べたもふ男は、雪の中にいくつも穴が開いて、食べ物のにおいをかぎつけたらしく、雪の上に這い上って食べに来た。 かくてめでたく近所の人々の思いやりで、もふ男くんも凍死を免れたので、これで私の気になっていた常連さん達は、みんな無事だったらしいことが分かって、めでたし、めでたし。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017年01月12日 03時16分29秒
コメント(0) | コメントを書く
[チュクルジュマ界隈のこと、または猫ばなし] カテゴリの最新記事
|