2658226 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

madamkaseのトルコ行進曲

madamkaseのトルコ行進曲

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

madamkase

madamkase

Calendar

Favorite Blog

Comments

 marnon1104@ お久し振りです (。≧ω≦)ノ!! kaseさんのお誕生日だったのですね。 お元…
 marnon1104@ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) kaseさん、こんにちは(*'▽')♪ …
 madamkase@ Re[1]:渡航記念日(03/16) 高見由紀さんへ こんにちわ、イスタンブ…
 madamkase@ Re:渡航記念日(03/16) marnon1104さん、こんにちわ。 3月に書い…
 madamkase@ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) ひなのさん、おひさしぶりです。 トルコは…

Freepage List

Headline News

2017年01月20日
XML
カテゴリ:メフテル軍楽隊


【1月20日・金曜日】


 昨日、銀行の口座に入金した後、私はタキシム広場からまっすぐ北上し、軍事博物館の手前のエルマダーにあるSGK(社会保険機構)のオフィスに、オメル係長を訪ねた。居住許可証を更新するために提出してあった書類に不足のものがあるという連絡を受けていたので、詳細を聞きに行ったのである。

 「明日までに処置してまた届けに来ます」と約束し、オフィスを出た。

 10年前の1月19日は、アルメニア系の新聞社アゴスの主幹で、平和主義者のフラント・ディンク記者が、17歳の少年に背後から撃たれてその場で死亡した忌まわしい日であった。

 10年前のブログの記事  ジャーナリスト暗殺事件


 その翌日のブログの記事  雪解けの水は流れる


 あれから10年、エルマダーの延長線上に、軍事博物館の所在地ハルビエやシシリーがある。そのシシリーの、アゴス新聞社のビルの前は、私が軍事博物館に行くより少し前に、デモ行進が北に向かって出発したというが、まだ交通遮断は続いていた。

 バスもタクシーも通れないので、結局私は歩きで軍事博物館に行き、大太鼓奏者のシェラフェッティンさんと面会した。ちょうど1ヵ月前に、骨盤の骨の一部を付け替えるという大手術をした彼の奥さんが6日目に退院した時、見舞いに行って彼女と初対面を果たしたので、その後の様子を聞くと順調に回復に向かっていると言う。

 シェラフェッティンさんはその日出勤していても、コンサートには出演しないので、私とずっと付き合ってくれる気で、観覧席で観賞するため一緒にホールに向かった。

 20日が学校の前期の終業日なので、昨日はまだ相当な児童生徒の見学グループが来ていて、会場はかなり埋まっていた。奥の方に、デニズ少佐や副官のチェティンさん、隊員のシナンさんなどがいて、私に気づくとみんなでシェラフェッティンさんと私が座った場所に移動して来てくれた。

kanranseki  
子供達は次の日、前期の終業日。カルネ(通信簿)が気になるところです。

kos  
今日のキョスゼンはバハドゥルさん。彼自身の姿も、パフォーマンスも
師匠のシェラフェッティンさんにとてもよく似ていて遠目には瓜ふたつ。

sironeko  
帰りに軍事博物館の出口で出会った白い猫、ごろちゃら転がって見せました。


 久々に聴くコンサートはやはり私にとって元気薬となって、たいそうモラールの向上に繋がったと思う。

 昨日SGKのオフィスに行ったのは、私の今のパスポートには、トルコに最後に入国した日の入国印を押したページのコピーがなかったので、それを提出する必要があって2日続けて行くことになったのだった。 

 それに昨日は軍楽隊にまで行かれるかどうか、分からなかったので、コンヤで皆さんと一緒に過ごした時の、パレードやコンサートの写真を紙焼きしたものを、配りたくても持っていなかったのである。


 ***********************

 さて、今日は午前中に以前のパスポートを持ってSGKに行き、コピーを取って貰い、オメルさんにそれを預けてきた。午後一番でまっすぐシェラフェッティンさんのいる、シヴィル・メムル・ガジノスを訪ねて行ったところ、ちょうど彼は同僚達と金曜ナマズ(祈り)に行こうとしており、お祈りに行かない何人かの隊員達とチャイを飲みながら歓談して待つことになった。

 そこにメフテル軍楽隊最古参のチェヴゲン・バシュ(コーラス隊のリーダー)、ムスタファ・カヤさんが友人を伴って現れた。カヤさんは、1994年7月に和歌山海洋博にメフテル軍楽隊が招待されて行った時、私と同じ飛行機で、日本に行った仲間の一人で、まだ30代になるかならずかの頃。

 彼への来客アブデュラー・カルカンさんは20歳の時、軍事博物館でともに兵役を過ごし、カヤさんは兵役終了後試験を受けて軍事博物館にメフテルの一員として勤務することになり、親友は別な道に進んだのだそうだ。

 ニコニコした小柄な人で口数も少なく、いかにも可愛らしいおじさんだった。カヤさんが、自分のスマホから、テレビにゲスト出演したときのビデオを見つけ、私に聞かせてくれた。


 トルコのインパラトール(帝王)と自ら名乗る、あのイブラヒム・タトゥルセスもなんのその、というくらい高く澄んだ力強い声が、りんりんと響いてくる。びっくりして私はアブデュラーさんをまじまじと見てしまった。

 トルコの数多い音楽の中でも、国民歌謡ともいうべき、トゥルキュ、あるいはアラベスクといった分野の歌手はたくさんいるし、それぞれがびっくりするような美声の持ち主なのであるが、この声を聞けば、アブデュラーさんも間違いなく一流の歌い手に違いない。

 ムスタファ・カヤさんの大の親友であり、知り合ったばかりの私と話していても、自分のことを何一つ自慢するでもないアブデュラーさんの優しい表情に感銘を受けた。何だかおとぎ話の笠地蔵さんが、笠を脱いでニコニコしているような印象を受けて、私も幸せを感じさせて貰った。

gajino  
コンサートの始まる前ガジノで、私の左隣アブデュラーさん、
その後ろカヤさん、右へ、イブラヒムさん、アイハンさん。私の右ユスフさん、右端ムサさん。
カヤさん、ユスフさん、ムサさんが94年の飛行機で日本へ一緒に行った当時のお友達。

1914  
1994年7月9日と記憶、成田空港までメフテル軍楽隊を見送りに行った時。
左から2人目、ユスフさん、その右ムスタファ・カヤさん、ムサさんは別な班に。
                                        
abdullah  
アブデュラーさんと私。私のカメラは、ときどきピントが合いません。
こんなに笑顔の優しいトルコ人のおじさまはそうざらにはいません。



 トルコでは、謙虚な人は出世出来ない、と言うのが通り相場である。テレビの対談とか座談会番組を見ると、自分の持論を主張する余り、相手やまたはほかの人に話をさせない気か、持ち時間が終わっても黙らない人、他者の話し中に遮って激しい勢いで自論を展開する人、さまざまだ。

 俺が、俺がのインパラトールが大出世して、アブデュラーさんのような、とても謙虚な人は、音楽番組などにたまに招待を受けると、一生の一大事、と渾身の力を込めて美声を余すところなく発揮して、テレビの前の人に喜ばれただけでも満足し、自分も幸福に思うのだろうな、と感じた。

 メフテル・コンサートの時刻が近付き、ムスタファ・カヤさんやシェラフェッティンさんが着替えに出て行き、私はまたガジノから非番の隊員さんに連れられ、エレベーターでコンサート・サロンに行った。今日もメフテル・バシュはデニズ少佐ではなかった。午前中から会議が続いているのだそうで、総大将のムラット中佐も、副軍楽隊長のチェティンさんも舞台には出ていなかった。


kos  
シェラフェッティンさんを舞台で見るのは、コンヤから戻った次の日以来。
大技のパフォーマンスも今日は一段と冴えていました。
観客は少なくても、コンサート・サロンは大迫力です。

Mehterbasi  
一曲終わるごとに、丁寧に観客に最敬礼をするメフテル・バシュ。
これからは学校も休み、海外の観光客もほとんどいなくなってしまい、
メフテル・コンサートも2月中旬までしばし、寂しい日が続きます。



 12月9日からこの方、1ヵ月と10日ぶりにシェラフェッティンさんの大太鼓演奏を見た。隣に座ったアブデュラーさんは、1曲終了ごとにメフテル・バシュが観客席の方を向いて最敬礼すると、力いっぱい拍手を送るのだった。

 コンサートも終わりの曲に近づいたころ、何気なく最上段のメフテル棟への出口(スタッフ・オンリー)の方角を見ると、いつ来たのか、デニズさんが立っているのが見えた。演奏が終わって席を立った私達数人より、デニズさんは先に出て行ったが、広い多目的ホールを横切り、メフテル棟の方に走って行って、呼んでもなかなか来ないエレベーターを呼んでくれたのである。

 デニズさんは初めて会ったらしいアブデュラーさんに、丁寧に「ようこそおいで下さいました。デニズと申します」と軍服の腕を伸ばして握手を求めた。非番の隊員達がアブデュラーさんについて説明すると、「お知り合いになれて光栄です。私、今日は会議中だったので、演奏には出られませんでしたが、普段は軍楽隊長を務めております」と職掌を告げた。

 肩章を見ればどんな階級の将校か、アブデュラーさんにも一目でわかる。エレベーターが下に着くと、デニズさんはもう一度アブデュラーさんと握手を交わし、私にも「加瀬さん、会議に戻らなくてはなりませんのでこれで失礼します。また来てくださいね」と握手して、2階に戻って行った。

 5時からメフテル軍楽隊員全員の打ち合わせ会議があるとのことで、アブデュラーさんと私はまた2人になってガジノ(娯楽室・休憩室)で話をしながら会議の終わるのを待っていた。

 トルコの声楽やバーラマ(弦楽器)などについて、この物静かな音楽家は、私にも分かりやすいように説明してくれた。いつか、折があったら、日本古来の音楽、歌、芸能について話をして下さい、と言われ、再会の約束が出来た。

 霧雨のように細かい雨が降りやや肌寒く、夜半にところによると雪に変わるという予報が出ていたが、アブデュラーさんと知り合えたことで、とても心温まる時間を過ごすことが出来た。昨日も今日も、ちょっと幸せな気分を味わえたように思う。








   かに座さそり座いて座
かに座さそり座いて座
/


madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房)




猫猫「チュクルジュマ猫会」猫猫




海泡石のパイプやアクセサリーと、「宮古島月桃」の買える店

ピンクハート  アントニーナ・アウグスタ  緑ハート黄ハート

//l;
-

-----
-










お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2017年01月24日 02時48分46秒
コメント(0) | コメントを書く
[メフテル軍楽隊] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X