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カテゴリ:チュクルジュマ界隈のこと、または猫ばなし
【1月26日・木曜日】 23日の晩に切れてしまった電球(と言っても、球状ではなく、変わり型の蛍光ランプ)を取り替えようと、脚立に上ったものの、背が低くてどうにも届かず、もし足を滑らせたり、バランスを崩して落ちたりしたら取り返しのつかないことになる、とついに諦め、三日三晩、風呂場に明かりなしで過ごした。 本日からまた雪が降ると言う予報だったが、そのとおり、外は非常に気温も低く、8時を過ぎてもどんよりと雪空で暗かった。もうじき雪になりそうだ。少し野菜や肉類を買いに行こう。冷蔵庫を覗いてみるまでもなく、食糧で何と何が不足しているか分かっている。 どんよりと重い雪空、ちらほらと風花が舞っています。 それに銀行にもう一つ振り込みもあるし、積もらないうちにジハンギルまで行って来ようと11時過ぎに家を出た。坂道と階段を上ってジハンギルに出たが、みぞれが降っているせいか、人通りがいかにも少ない。 このところ、ひどく血圧が低いので、薬局で測って貰ったら、10.5(105)と出て、低い方も5.8(58)、ノーマルだよ、と薬剤師のおじさんに言われ、少しホッとした。おそらく、私の10年物の計測器がそろそろ寿命になりそうなのかも。 銀行の用事を済ませ、スーパーで買い物をしたあと、ペットショップに先週、出先から注文を入れて不在中に届けて貰った缶詰の支払いに立ち寄り、追加の缶詰と猫砂とを買って、それを届けて貰うついでに、買い物の中の4キロもある重い袋もバイクで運んで貰い、配達のお兄さんに電球を取り換えて貰いたい、ということも頼んだ。 午後1時のNHKニュースに間に合うように急ぎ足で帰り、昨日正式に横綱となった稀勢の里が、打ち上がったばかりの綱を締めて、芝田山親方(元横綱大乃国)に、雲竜型の土俵入りの手ほどきを受けたニュースを見た。 生真面目な性格が土俵にもそのまま表れている点で、芝田山親方と稀勢の里は似ています。 初代若乃花(土俵の鬼)から、土俵入りを教わる第62代新横綱の大乃国(1987) 私は相撲が大好き。1950年頃からラジオで志村正順アナの実況を聞いて育ちました。 雪は大して積もりもせず、降ったり止んだりしている。私は外猫達の餌を配りに出て、戻ってから宣子さんに電話をかけた。買い物のあと、チュクルジュマに下りる長い階段と坂にさしかかったところに、彼女からかかってきたので、家に戻って用事を済ませてたらこちらから電話する、と約束していたのである。 12月半ばに、夫のメティンさんと4週間ほどの予定で、新婚旅行を兼ねて大阪に結婚後初めての里帰りを果たした宣子さんは、日本から帰宅した日、メティンさんの父親が手術をしたので、翌朝、取るものもとりあえずメティンさんの郷里の病院に駆け付け、10日余り看病して昨日か一昨日、自宅に戻って来たばかりだった。お父さんの具合はだいぶよくなってきたそうで、まずは一安心のようである。 夫妻は串本町のエルトゥールル号慰霊碑にも参拝したそうで、メティンさんは2015年の記念式典にメフテル軍楽隊として日本に行くはずだったのに、直前になって日本の招待側から人員の削減が要求され、総務課長の身分でありながら行く機会を逃してしまったので、串本の慰霊碑に参拝することは半ば悲願になっていた。 それが果たせたし、どこに行っても人気者だったらしく、嬉しそうな彼の顔が目に浮かぶ。宣子さんとも久しぶりだったので話は弾んだ。今度出会ったらメティンさんは、きっととうとうと日本で見聞したことを話してくれるのだろうな。 「加瀬さん、ぜひまた、泊まりがけでいらしてくださいね」と宣子さんが言い、「2月に入ったらね」と私も約束して電話を切った。 4時過ぎにペットショップの髭面のお兄さんが缶詰や猫砂を届けてくれた。私が用意した脚立を使わず、踏み台にしている木の椅子(高さ40センチ)に乗り、ちょっと背伸びしたくらいでたちまち、スペアのランプを取り付けてくれた。 ところがそのランプは黄色光で、今までのに比べるとずっと暗いのだった。 「ありゃ~、これかい」と思わず日本語でつぶやくと、彼はすぐに「これは今までのより暗いんですか? 他にランプのスペアはあるの?」と聞いてくれた。 急いで別なスペアを持って来たが、あいにくみんな同じタイプだった。お兄さんは、 「あ、じゃ、こうしよう。廊下の電気が明るいから、それを外してこっちにつけて、廊下の方は少し暗いけど通るだけなら十分ですよ、そうしますか?」と言ってくれた。おお、名案。 手早く付け替えてくれたので、ものの5分とかからず、本当に助かった。ペットの餌や水を届けに来てくれると、その都度必ずチップを渡しているので、今日はちょっと割り増しして渡すとお兄さんは嬉しそうに、「また困ったことがあったらいつでも言ってください」とにこにこしながら帰って行った。 この色に慣れてしまったので、黄色光の一回り小さいランプでは暗かった。 うちの、とってもお母さん思いの働き者達。手伝ってくれるつもりで集まるのですが・・・ こういうこと、トルコの人は気軽に何でも引き受けてくれるので、自分で出来ると思っても危ないことをわざわざやってはいけない、実際にはどう頑張っても、物理的条件で一人では絶対に出来ないこともある、としみじみ思わせられた出来事だった。22年もトルコで暮らしているのだから、歳をとっていない筈はないものね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017年01月28日 03時54分50秒
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