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カテゴリ:イスタンブール新発見/再発見
【2月18日・土曜日】 いつものように早朝5時台に起きた私は、まず台所の窓から真っ暗な空を見た。暁暗のひととき、狭いギザギザの空に、あと数日後には新月となる下弦の月や、明けの明星・金星かと思われる大きな星が西の方角に輝いているのを見た。素晴らしい上天気になりそうだ。 実は先月最後の日曜日に、Emitt国際観光博覧会に行った後の3週間に、次から次へといろいろな事件や頼まれごとが出来して、非常に忙しく外出する日々が続いていた。 かてて加えて、先日、うっかりパソコンを開けたまま、配達の人の応対に出てしまい、ほんの数分の間に、猫達のどれかにキーボードをほじられてしまった。キートップが幾つも外れて飛び出してしまい、それが元どおりきれいに嵌められず、指でいくら叩いても反応しないキーが増えてしまって、このところ、何を書くにも四苦八苦である。 それでも今日夕方からのコンサートに行くため、合間を見て白髪を染め、洗濯物を干し、電話も結構往来が激しく、とうとうそろそろ出かけなければ、という時刻になってしまった。内外の猫に餌を与えたあと、ジハンギルまで息を切らしながら坂と階段を上り、Carrefour(カレホル)スーパーマーケットで花束を3つ買った。 タクシーに乗ったら、金角湾べりの低い土地にある、カスムパシャ地区の教会への道のいたるところで道路工事の真っ最中、しかも私が、イスタンブールの地理をよく分かっているはずのこの私が、勘違いしてここの坂を下りるのよ、と間違ったところを指差してしまっていたらしく、タクシーで降りて行くと、その道は敷石を全部はがして大工事中、しかもデコボコの坂の中途にある「レジェップ・タイイップ・エルドアン・スタジアム」の入場門の前で行き止まりになっていた。 またまたあちこち曲がり、大回りしてやっと出たカスムパシャ地区のメインストリートをかなりの距離走ったあと、タキシム広場の下まで出て、2度3度聞きながらやっと教会にたどり着いたが、20分も余計に走ってしまったことになる。 礼拝堂の入り口は2階にあり、階段を上って中に入ると、18年前まで住んでいたジハンギルの家の隣にある、大きなアルバトゥル・アパルトマンの家主、マルギッテさんと長女のジェワヒルさんに声をかけられた。 もう前の方の席はすべて埋まっていて、後ろの方ではあったが、マルギッテさん達が招いてくれたのでその席に座ることが出来た。写真を撮りたいと前の方の席に座るために家を早く出たのに、一つ曲がる角を間違えたために大回りし、料金は余計にかかるわ、遅くなるわで大失敗だった。 エヴァンギリシェ教会はドイツのプロテスタントの教会だそうで、来場者はほとんどがイスタンブール在住のドイツ人、マルギッテさんもトルコ人に嫁入りしたドイツ人で、夫君は既に故人である。勿論トルコ人もいたが、叔子さんの応援に来た只一人の日本人が私だった。 ほどなく定刻通り6時に、教会の女性牧師さんがドイツ語で挨拶し、3人の音楽家、オーボエのダムラ・トゥンチェリさん、ネイ(葦笛)のブルジュ・カラダーさんが紹介され、客演のわが日本人パイプ・オルガン奏者・正木叔子さんにも大きな拍手が湧き起こった。 パイプオルガンは教会の入り口の上の階に造り付けられています。 オルガンの鍵盤部分、ここで叔子さんが弾いているわけです。 正面の祭壇の左右どちらかにパイプオルガンがあるのかと思っていたが、後ろの入り口の上の階に設置されていたらしく、舞台には演奏家の姿はなく、最初の演目はバロック音楽だった。ヴィヴァルディやバッハなどの協奏曲は、ろうそく型ランプの灯るほの暗い礼拝堂に100人以上集まったと思われる人々の心に染みいるような荘厳な響きがあった。 人々はあるいはうなだれ、あるいは目を閉じて天を仰ぐ姿勢で聴き惚れている。私のデジカメは、使っていた3つのデジカメが次々と故障し、直してもまた駄目になったので、娘が「不具合があるけど、ないよりましよ」と自分がもう使っていないのを、2014年の暮れに持たせてくれたので、今はそれを使っている。 教会内が暗くてよく写らないのは承知で、音さえ採れればいいから、と天井と窓のステンドグラスを映しながら録音し、このデジカメ、動画を撮って再生すると音が全然出ないのだが、パソコンに落としたら立派に録音されていて、2度3度しんみり聞くことが出来た。 このデジカメ、しかも録画中はズームが利かないのがちょっと困るけど、まさにないよりまし。それにスナップを写すと画面の左側がぼけてしまい、ツーショットの場合はまあ、私が左側なら顔のしわ・しみ・そばかすが映らない分いいのだが、やっぱり実際にはいい写真にはならない。 しかしまあ、2年前にSamsung Garaxy S5という、メーカーは一流なのに、安いので保証なしだよと店員に言われて、しばらくの間使えればいいか、と思って買ったら、最初からろくに使えないバッタものを掴まされて、wifiには繋がらない、写真や動画を撮っても、パソコンに移せない、という欠陥品を掴まされたのが分かり、悔しい思いをしたのですっかりスマホ嫌いになってしまい、ガラケーと小馬鹿にされている通話とショート・メッセージ専用の携帯電話をいまだに愛用している。あ、話が脱線した~。 3人の音楽家は、後半表舞台に揃って登場し、叔子さんは楽器をピアノに変えて、3人の息もぴったりに「春の海」や「ウスクダラ(トルコの原題:Katibim)」、トルコの民謡風な歌も披露し、入場無料の演奏会は無事終了した。 教会から花束贈呈があり、私もそのあと、3人のミュージシャンに用意した花束を1つずつ贈呈し、そのあともアンコールと言うことで、軽快なタッチの演奏で3人が息のあったところを見せてくれた。 沢山の拍手に初の試み、大成功と言う感じ。年に1度か2度、こんな演奏会も素敵! 音楽に国境なし、敵味方なし、曲目は思い出せませんが・・・ スイスに渡ってからも15年あまり。磨き抜かれた腕前の叔子さん。 そのあと、ジハンギルの隣家の長女ジェワヒルさんが寄付金を集めて歩き、別室に懇親会場が設けられていて演奏家たちと交流出来るとのことだった。 私はあとからやって来た知人が一緒に帰ろうと急かすので、演奏家達と別れの挨拶も出来ないうちに教会をあとにしたが、途中で手袋を片方落としたらしい、と口実を作って探しに戻り、懇親会場にいる叔子さんのところに駆け付け、彼女の紹介で30分ほど演奏家の皆さん達と挨拶を交わしてから、食事に誘われたが、「今日はお三方、水入らずでどうぞ」と、礼を言って外に出た。 演奏家の皆さんと。左から叔子さん、私、ネイのブルジュさん、オーボエのダムラさん。 知人のお店に顔を出すと彼に「腹が減ったので近くに日本のうどんスープみたいなのを飲めるところはないかね」と聞かれ、タキシム広場に近いうどんやさんに屈強な殿方3人を案内することになった。イスティクラール通りを腹ペコの3人が一刻も早くうどんスープにありつきたい、と長い脚でずんずん歩くので、必死で歩いたがおいそれと追いつけない。私が案内役なのに、しばしば土曜日のイスティクラール通りの雑踏に置いてけぼりをくってしまうのだった。 やっと男性陣が「おいおい、テイゼはどこだ。あの人、脚の長さがてんで違うんだぜ。それにテイゼは我々のおっかさんより年寄りなんだ」と気がつくまで、息切れ動悸が激しくなって気分が悪くなるかと思った。 うどんやさんで握りずし幾つかとミニうどんをご馳走になり、店の前で彼らと別れまたてくてくと、でも今度はなるべくゆっくりと歩いて家に帰った。思えば崖の下の方にあるカスムパシャから、上り坂をハアハアしながらたどってベイオールに出たその足で、エルマダーのうどんやさんまで速足で歩き、そしてエルマダーから家までまた。何キロ歩いたことだろう。 タクシーに乗りたいが、近いところは運転手が億劫がって乗せてくれないので、なかなか車が拾えない。東京では近距離用に初乗り420円という制度が出来て、かなり好評だという話だが、この2月初めからイスタンブールでも、初乗り3.45リラ(100円ちょっと)は同じ、でも5リラ6リラくらいの近距離で降りると、メーターが突如跳ね上がり、8.75リラを表示するシステムが出来、近距離の客は割り増し料金を否応なく払わされることになった。 どこの国でも庶民の懐が痛むように出来てるもんですねえ~。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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