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カテゴリ:イスタンブール日々新たなり
【3月27日・月曜日】 このブログをお読み下さるお友達、お知り合いの皆様、今日3月27日の私の誕生日に、友情に満ちたご親切なお祝いの言葉を、電話で、メールで、Facebookのタイムラインやメッセンジャーで、Twitterでお送り下さり、誠にありがとうございました。 第二次世界大戦中の昭和18年(1043)に誕生した私、74歳となりました。 本日はまた早朝5時前から起きて、早くも日本から送って頂いたお祝いのコメントを読ませて頂き、それに返事を書き始めました。 やはり、友人関係にある人の誕生日のお知らせをしてくれるFacebookでのコメントが一番多く、私がこのサークルに加入したのは2011年7月、とある取材の事前調査で、トルコのさる事業所についてトルコ語で書かれている内容を知りたいという日本のクライアントから、私が依頼を受けましたが、そこはFacebookに加入して「いいね!」を押していない人には、見られない設定になっているようでした。 そこで自分も仕事の必要上Facebookに登録し、「いいね!」を押してその事業所のアカウントに入り、各ページのトルコ語を読んで、何と書いてあるかを日本語に直して先方に知らせることが出来ました。 私が加入した途端、私の名前とタマオ猫の写真を見つけ、一番乗りで友達申請してくれたのが長年の友、報道カメラマンの嘉納愛夏さんで、もちろん、喜んで承認のクリックをして現実にもよく知り合っている友達同士が、さらにFacebookの上でも結ばれたのでした。 その後、Facebookはトルコでも日本でも相当普及しているとみえ、続々と友達申請が来るようになり、最初は全然知らない人にも無視出来ずに承認しているうち、とんでもない人物もいることを知りました。大嘘つきや悪い人間が善人を装い、友達をかき集めて、さもさも人気者だと言わんばかりの、ときには嘘八百を並べ立てて教祖気取りの奴とか、悪い組織が他人になり済まして個人情報を盗む手段にする輩も混じっているわけです。 だんだんわかってきて、友達申請をしてくるのに自己紹介もプロフィールの写真も、挨拶のメッセージも何もないとか、外国人でアラビア語とか韓国語しか書いていないとか、書いてあることが私には読めない外国語だけの人は勘弁願い、増えないように気をつけていたにもかかわらず今年3月には1000人を突破してしまいました。 自分はスマホも持っていないし、外を駈けずりまわっていることが多いため、なかなか友達の近況を見るために毎日その1000人のページを訪問することは出来ず、いやいや、自分のページの更新すら、ままならない状態です。 それに、毎日がブログ種のような出来事に遭遇しているため、とても面白い話がたくさんあるのに、トルコでテロ事件が相次いだこともあり、一昨年あたりからブログを書く時間が極端に少なくなってしまい、ときどきジレンマに襲われます。 ロンドンに住む2014年からのFB友達、年に2~3度イスタンブールに来る由加さんが、今回も私を訪ねてくれるというので、2015年にたいそう気に入ってくれたメフテル・コンサートにまた一緒に行きましょう、ということになりましたが、今年の3月27日は月曜であいにく軍事博物館が休み、当然メフテル・コンサートもありません。 彼女とチャットで連絡を取り合った結果、2日ほど後の29日に振替誕生日祝いをしようと決めて、今日は頑張ってメール、メッセージ、Facebookへの書き込みをして下さった皆様に、個々にお礼の言葉を返信したいと思い、家にいてひたすらパソコンに向かうことにしました。 さて、由加さんは昨日の夜遅くアタテュルク空港に到着、アジア側に宿を取ったので、今日少しチャットでやり取りして今回の予定などを聞きました。実は先日、彼女とパソコンでチャットをしていた時、わが家のチャイムが鳴ったので、うっかり、ラップトップの蓋を開けたまま立ってドアのそばに行ってしまい、アルス猫がキーボードの上を歩いているのを見て、「コラーッ」と叱ったら慌てて飛び降りたのはいいのですが、後ろ肢のキックで4個のキートップがめくれて散乱してしまいました。 困ったことにその4つすべてが、ホームポジションの、A、S、D、Hで、特にAのキーは、所定の位置にどうやってもうまくはまらず、タイピングの際、小指で押しても全然反応してくれなくなってしまったのでした。ですから、由加さんとチャットするのすらままならず、ましてや長い文章になるとお手上げです。 私ももともとは英文・和文のタイピストで、日本語が文字変換という手段でキーボードで打てる時代になると、ワープロでは富士通のオアシス親指シフトを使い、パソコンになってからはローマ字変換で打っているため、長文を連続で打っていてもでそこそこに早かったし、余り疲れを知りませんでした。 ところが、日本語ではほぼ全部の音にいちいち母音が入るし、Aの出番はことのほか多いので、本日、朝早くからパソコンの前に座り、取り掛かったところが、全部のお祝いにそれぞれの人ごとに文章を多少変えてお礼を書き込むのは、自分が考えているほど容易な作業ではありませんでした。去年もあと193人を残して降参しました。 パソコンを打つ間に、家の中の掃除以外のすべての作業もやり、自分でもなにがしかを拵えて三食食べるし、猫と餌や砂箱の清掃などの世話をし、台所で物音がするとその度、パソコンの蓋を45度くらいに倒し、猫にキーボードに乗られないようにして、私自身が椅子を蹴飛ばすようにして席を立つことが何度もあるのでした。 幾日か前、猫達がニャー、ニャーと鳴きながらドドドッと一挙に台所に走って行った、かと思うとすぐに何匹かが慌てふためいてサロンに戻ってきて、「ご注進、ご注進」とでも言うように私の方を向いて座りました。 何事か、と私も立ち上がって台所に行ってみると、裏庭で以前の塀を壊して、白い切り石で、2.5mくらいの相当に高い塀を積み上げたので、そこを伝って1匹のオスのキジ猫がいつもキウイやミディエの運動場になっている台所の窓の外に顔を出していたのでした。 ええっ、この子はだあれ? 見知らぬキジ猫がどこを伝わって登って来てしまったのでしょう。 まだ小柄な、若い猫なのでしょう。しかし、困ったなあ。 猫を追い払おうとして脅かせば、下に落ちて怪我をするかもしれないと思い、カーテンを閉めて無視することにしました。キジ男くん、うちには君のお相手になるような女の子、いないのよ。彼は毎日、日に1~2度やって来るらしいので、私が家にいても窓を閉めておかなければなりません。 本日、天気予報では雨になると言われていたのに、空はどうやら持ちこたえているようです。いよいよトイレット・ペーパーや紙タオルを補充しないといけないし、いっそのこと明るいうちに行って来てしまおう、と6時少し前に作業を中止し着替えてお使いに行こうと家を出ました。 ちょうどそのとき、娘から誕生日祝いの電話がかかってきたのです。電話で喋っていても、なぜかいつものように息切れはしません。急勾配のタクタキ坂を上り、その上の階段を上り、スラセルビレル通りのいつものスーパーに着いたので、話を終わらせ、紙類はそれほど重くはないがかさばるので、ほかの物もそうは買えないと計算して、一人で持ち運び出来る量で、卵6個入り、ソーセージ、挽き肉、少々の野菜、醤油1リットル程度でもう2つのビニール袋が一杯になりました。 娘が電話で、「お母さん、只でさえ歩きにくい道だから、絶対に転ばないように、急がずちゃんと前と下を見て歩くようにね」と繰り返し私に言いました。 V子の亡き父親の兄嫁であるセイコ伯母さんが最近転倒して、大たい骨骨折の重傷を負い入院中なので、その娘が一日おきに面倒を見に隣町から通ってくるのだそうです。V子も週末に見舞いと手伝いに行ったら、従妹が「変な話だけど、入院したのでかえって安心なの。家で火事を出す心配がないから・・・」と言っていたそうです。 私もボケてこそいないけど、実はそそっかしいのでよく転ぶうえに、嫁に来るとき持って来た、通算50年も愛用している丈夫なケイバ印の片手鍋など、トルコに来てからパソコンをやりだしたために、つい、猫の餌にするものを煮ていて忘れ、「下のうちで何か焦がしたのかな」などと、まずはよそのうちに違いないときめつけ、ピチピチ小さな音が聞こえて来て、初めてハッと気がついて台所に飛んで行くと、マカロニが炭化する寸前だったりするのです。 あれこれ考えながら家に戻ってきたら、入り口の向かって左側の店舗を借りている骨董屋のあるじが、私の外猫の餌箱にしている発泡スチロールのトレイを指差して、「猫に餌付けをしないでくれ、皿からこぼして散らかすからおれが掃除をしてるんだ。あんた、自分が猫好きで餌やりしているから気がつかないだろうが、猫が一つもこぼさず、きれいに全部食べるはずがないだろう! 迷惑だ、もう店の近くに餌を置かないでくれ」と言われたのです。 もしかすると、猫がすっかり食べつくしているのではなく、私が餌を置いたのを見ると出て来て皿の中のキャットフードを捨ててしまうのではないかな、という疑問が湧いてきました。 裏の通路の餌場に台所や小部屋が面している家でも、フラットの持ち主の女流画家エジェさんが、表のブラック・ウスタが余りにガラクタを積み上げて、自分の家の後ろ側の通路をひどく汚すのに嫌気がさし、猫も嫌いな人なので、私に何度もここで餌をやらないで、と促すため、私はお詫びに何度もエジェさんの土間も掃除したことがありました。 しかし、山のようなガラクタを自分の家のベランダ・スペースに、大工が投げ込んだり勝手に置いたり、猫がそこで寝ていたりして、ピスコロジー・ボズックの(心が傷ついた)エジェさんの気持ちは収まらなかったようで、先日からとうとう高い塀で囲って家の中からがらくたや猫が一切見えないようにしてしまったのでした。 猫のえさ場は、大工のブラック・ウスタの投げたがらくたでいっぱいになりました。 アパルトマンの共同の通り道や、個人の家の張り出し部分に勝手に積み上げていいわけはない。 職人が来て18日から既存の壁を壊し始めました。そのまま通路に放置して続きは2~3日後に。 そばに行ってみるともう、日干しレンガの塀はもろいこと、もろいこと。 猫のえさ場はずっと奥の方にあります。素焼きの容器は殆ど割られてしまいました。 3階のわが家の台所の窓から望遠で撮ってみるとこんな風に見えています。 22日にはもう新しい切り石が運び込まれて塀を積み始めました。 数日間、たいそう苦労しながら猫の餌を奥の方に置いていました。 10日ほど前に工事の始まった日、掛矢で以前の塀をドカン、ドカンと打ち壊したため、もふ男やその他の見なれた猫達がどこに逃げたか、忽然とすべて姿を消してしまったのでした。そのあとに、見知らぬキジ猫達がやってくるようになりました。 この半月近く、連日ブロック塀の瓦礫で足の踏み場もなくなった餌場に、瓦礫を踏み越えてキャットフードを配りに行っていましたが、のんびりと仕事をしている職人のせいではかどらず、そう言う危ないところに足を踏み入れて、娘の心配する転倒事故など起こさないとも限らないし、エジェさんも猫を見ると露骨にいやな顔をするので、私もどうにかしなくては、といつも頭の片隅で対策を考えていました。 馴染みの猫達がいなくなってしまったのを機に、表の一隅にも裏庭の通路にも、つまり外猫用の餌をおくのは止めようか、とついに思い至り、今日から実行に移そう、と決心しました。なんともわびしい誕生日だ、と、悲しい気持ちになってしまいました。 それに今朝、朝のNHKニュースで、日本から聞くのも辛い事件が報道されていました。栃木県の那須高原で起きた、雪山の訓練に行っていた高校生48人や引率の先生方が、突然の雪崩れで生き埋めになってしまい、夕方にはもう、心肺停止で収容された8人の死亡が確認された、とのことでした。 早朝からコメントに答礼するのを続けていたせいか、夕食を済ませた後、再びパソコンの前に座ったら右の首筋、右の肩、右の肘、右手の小指、そしてあろうことか、右の骨盤と脚の付け根あたりがひどく傷んで我慢が出来なくなりました。 数年間、鍼灸診療ツアーの助手をしていたため、この痛みが全部左の小指から発しているのがすぐに分かりました。カレンダーの後ろにお祝いを言ってくれた人のリストを書きつけてチェックしながら150人弱の方々にお礼を書きましたが、それでも今日かけたのは半分にも満たないのです。 肩凝りのせいか、頭痛や胃のむかつきまで出てきました。答礼の書き込みの続行を諦め、私は愛用の鎮痛剤バッファリンを2錠飲み、腰にホッカイロ、布団の足元に電気行火を入れて体の冷えを防ぎつつ、11時頃ついにもう寝ることにしたのです。 やっぱり、若い時のように敏捷ではなくなっているし、事務能力、生活能力の衰えは進行していると思うし、半徹夜で無理などしてもお礼の書き込みが出来上がるわけがない、あと幾日か掛かってもゆっくり書いて返事をすればいいか、と天井を睨みながらそう思い、未練なく電灯を消して目を閉じたのでした。 今年の誕生日はメフテル・コンサートに出かけることもなく、寄せられた友人達の祝意への返事をひたすら書いたものの、去年よりペースがもっと落ちて、まだ半分以下しか終わらせられずにいるのが残念です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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