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カテゴリ:イスタンブール日々新たなり
【4月4日・火曜日】 3日前の4月1日は土曜日で、私は昼過ぎにシシリー方面に用事があり、それが済んだらハルビエの軍事博物館の前にあるパンドラと言う名の本屋さんで、今年1月に発刊された、陸軍参謀本部のエルハン・アルトゥノク大佐の詩集「Lila リラ」を購入する予定だった。エリート軍人であり、大学で文学の講座を持つ先生でもある大佐は、詩人でもありその厳めしい肩書からは想像も出来ないが、たいそうデリケートな感性を持つお人なのだった。 エルハン・アルトゥノク大佐はまた、月に二度、軍事博物館で行われている「シェヒットレル・アンマ・トレニ(戦没者追悼式典)」の儀式の構成作家であり、朗々たる声で有名俳優も顔負けの、オラトリオを聴くような名調子で参列者を泣かせ、司会進行役も勤める。アンカラの参謀本部からその都度イスタンブールに出張していた。 大通りをタキシム広場方面に向かい、パンドラ書店を目指して歩いていると、3時10分前くらいに博物館の前に着いた。正門にいた顔なじみの警備員の人と顔が合ったので、道路を渡りそばに行って挨拶をしたら、昨日からメフテル軍楽隊の本隊は、イスタンブールの南東330kmのエスキシェヒール県イノニュ市に行事があって出張中だが、留守番部隊の演奏はいつもどおりに行われると教えてくれた。 せっかくだからやっぱりコンサートを聞きたくなって入館した。今日は自分一人だし、上から3番目くらいの席でやや舞台に遠いが、音量は同じなのでたまには全体が見渡せる席もいいな、と上の方で見物することにした。 昨年の3月2日に、来客の江里子さんを案内しながら階段を下りている途中で足を踏み外し、舞台の手前まで転げ落ちた現場が目の前にある。ちょうどメフテル紹介映画が始まり、場内はたいした入りではないが、それでもガラ空きと言うほどでもなく、メフテルの人員も小人数編成ではあったが、ゆったりと観賞させて貰った。 去年の3月2日、大佐のお招きで「戦没者追悼式典」に参列したあと、コンサートに 移動して前から3列目の空席に行く途中、階段から転落し、満場を総立ちにさせた私。 この記念写真では私の隣がアルトゥノク大佐、江里子さんの隣が、メティン総務課長。 13ヵ月前にこの高さからゴロンゴロンと転がり落ちて、その晩から 打撲傷でおよそ1週間咳も出来ないほどの痛みを味わったのでした。 3時45分頃、コンサート・サロンを出て入り口の入場券売り場で預けた手提げ袋を出して貰ったあと、受付にいた職員のオメルさんが「今日はお一人ですか」と聞いた。 「博物館の正門の前の本屋さんに来たんですよ。ほしい本があって、あそこなら売っている、と著者自身に教えて貰ったんです」 「著者はどなたですか」 「エルハン・アルトゥノク大佐です」 「あ、そう言えば、大佐は朝のうち、コンベンション・センターで開かれているブック・フェアに見えていましたよ」 「あら、じゃあそこで大佐の本も売っているのかしら?」 「さあ、お時間があれば、会場を一回りなさったらいかがですか。本とコーヒーと蜂蜜の売り場もありますよ」 ちょっと興味を引かれ、本館の出口から砂利道の通路を通ってコンサート・サロンのさらに奥にあるコンベンション・センターに向かった。会場にはたくさんの書店も出店していたが、出版社はどこかと聞かれ、七緒さんに電話して、ネットで本の出版社の名前を調べて貰った。しおりに書き取って各スタンドで見せても、やはりないと言われるし、1階2階のすべてを回って訊いたがとうとう見つからなかった。 仕方なく諦めてやはり最初に行くつもりだった博物館前のパンドラ書店に向かった。先ほどのしおりを見せた。すると、女店員がパソコンに著者と出版社の名前を入れた途端に「この本は私どもにございます」と丁寧な返事が来た。 「2冊ほしいのですがありますか」 「書庫からすぐにもう1冊お持ちします」 あああ、ケシケ、ここに先に来ていれば1時間以上もブック・フェアで歩きまわらずとも済んだのに・・・脚を棒にして歩いたことに淡い後悔を抱きながら、私は店員がビニール袋に入れてくれた2冊の詩集を大事に受け取り、バス乗り場に向かった。 エルハン・アルトゥノク大佐の詩集、「Lila リラ」(A5判 96ページ) 上の写真の右下は、階段転落記念日の午前中、私と江里子さんがメティン総務課長のもとに行くとき通った外の通路で、立ち話をしていた大佐とチョルバジュ・バシュのムラット中佐に出会い、メルハバ、と挨拶しながら会釈した私を、ムラット中佐が大佐に「加瀬ハヌムは長年のメフテルのドスト(親友)です」と言ってくれたために大佐が呼びとめ、バッグから紙を取り出して、スラスラスラ、とカリグラフィーで書いてくれた私の名前。 大佐は、私達の午後2時からの都合を聞いた。江里子さんは2月25日にもメフテル軍楽隊のコンサートを見に来ていたが、その時メティン総務課長に、日本に帰る前にまたいらっしゃい、と言われ、ご本人もそうしたい、とのことで、再び私と一緒に来たところなのだった。そして私達は思いがけず、コンサート・サロンの真下のホールで行われる追悼式典にも招待されたのだった。 その後大佐とはFacebook上でも友人となり、去年11月2日にも友人達と共に追悼式典に招待されて日本人3名、トルコ人2名のグループで参列し、トルコが国境警備のためにいかに沢山のシェヒット(戦死者)を捧げているかを改めて認識し、トルコの友人達もこういう慰霊の式典をしているのを知らなかった、と感動してくれた。 " Lila " Erhan Altunok Yayinevi : Cenevre Fikir Sanat Tel 0212 529 3040 e-mail : info@cenevrefikirsanat.com Mevlanakapi Mah. Eliflamet Sok. No:15/A Sehremini-Fatih/Istanbul **************************************** かくてエルハン・アルトゥノク大佐の詩集、「Lila リラ」が入手出来た。でも、私はもう少しあとにならないと、落ち着いてこの詩集を読むことが出来ないだろう。おそらくアパルトマンの裁判が終わらないうちは、恩知らずなカプジュ一家が、彼らにたった一人親切だった私を標的にして悪さをする間は、この詩を読む集中力がまるでないだろうと感じている。 一番困るのは、私に日本の友人が小包で食品やアクセサリー、猫グッズなどを入れて送ってくれた郵便物が、たまたま私の留守に来たらしく、元カプが配達人にここにはもうそういう人は住んでいないよ、と持ち帰らせてしまったり、先日は居住許可証までここにはいない、と返されてしまったことである。他人の郵便物に悪さをするのは、もういたずらではなく犯罪だ。日本からの小包は友人がそっくり再送してくれたため、3ヵ月近く後にようやく届いた。 この犯罪者達を家から立ち退かせる裁判は4月24日の予定だが、16日にトルコの将来を左右する憲法改変、議会制より、権力の一極集中を目論む大統領府制に賛成か、反対かのレファレンダム(国民投票)が行われるので、その結果次第ではまた延期されるかもしれないし、気分の上でも今一つ春らしくならないトルコなのである。 しかし、何があろうと世間ではちょうどリラの花が盛りを迎えようとしている。タキシム広場の花売りの並んだスタンドからも、かぐわしいリラの花の香りが漂ってくる。わがアパルトマンの並びにあるドシェメジ(椅子の貼り替え屋)の店先にある、大きな鉢のリラも、ちらほらと花が開き始めたようである。 チュクルジュマ・ジャーミイの隣のドシェメジの店先にあるリラの木 2014年3月22日の画像。今年はとても開花が遅くまだ数えるほどです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017年04月10日 17時38分14秒
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