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カテゴリ:イスタンブールで人と会う
【5月8日・月曜日】 5時半頃目覚めたとき、カーテンの向こうは既にうっすら明るくて、覗いてみると東の空にほんのり朝焼けらしい色が見えた。跳ね起きて一番下にかけているピケ(肌がけ布団)を外してすぐに洗濯機に入れた。といってもそのまま洗うわけではない。時刻が早過ぎて上下の家に失礼だから、8時過ぎに洗い、すぐに干した。 ちょうどその頃タクタキ坂方面にすっきりと青空が見えてよい天気になっているのが確認出来た。午後1時半に人と会う約束があった。 朝食には太いポーク・ソーセージ(2月にお土産に貰ったものを冷凍保存)を茹でて、イワシの缶詰と大根おろしの付け合わせ、エゾゲリン・チョルバス(トルコのスープ)であっさりと済ませた。あっさりと、と言ってもオグリを先頭にくれくれ軍団と必死の攻防戦を繰り広げつつなのだが。 ポーク・ソーセージ、イワシの缶詰と大根おろし、エゾゲリン 1時半から2時の間にドルマバフチェ宮殿の時計塔カフェで会う約束をしていたのだが、1時5分過ぎ頃、私が出かける支度で服を着替えていると、会う約束の人から電話が来て、「由美子さん、もう僕達、時計塔のカフェに来ていますが、今どこですか?」と言う。 「今ちょうど服を着替えてタクシーを呼んだところなの。ドラック(プール)には空車がないので、一番近くのタクシーを回してくれるから1時10分か15分に家に迎えに来るって」 「ああ、大丈夫、大丈夫、僕達が早く出て来過ぎたんですよ。道が混んでいると遅れると思って早く出たら5分で着いちゃった。ゆっくり来て大丈夫ですよ」 私は台所の窓の外に干したピケの乾き具合を見てみた。完全に乾いているが、空も真っ青、何もない。夕方まで大丈夫ね、と安心してほどなく家を出た。ちょうどタクシーも家の前に到着し、私は何の心配もなく乗り込んだ。 よく乾いているから取りこんで行こうか、でもいいお天気なので夕方まで大丈夫かな。 オグリ、ピケの上に飛び乗るんじゃないよ! ところが、ボアズケセン通りに出たところが、道の半分が駐車場化しているこの道は、 ところどころにあと半分の車道にもう1台がはみ出した格好で駐車あるいは停車しているために、残りの車道では車両交換が出来ないのである。 海岸通りのトプハーネ駅まで下るだけで10分以上もかかってしまった。駅が以前の交差点の真上に設計されているので、一旦右に曲がり50メートルくらい先で踏切を渡り反対車線に出た。 ところがそのあと、渋滞しているのに後続車がやたらにクラクションを鳴らすので、運転手が「なんだよ、まったく・・・」と言いながらブレーキを踏み、後ろの運転手に「なんだよ、いったい!」と声をかけると、左前のタイヤがぺちゃんこだ」と言われたらしい。 運転手のエンベルさんが慌てて車線を変え、今工事中のカバタシュ埠頭の道に入った。 「由美子ハヌム、悪いけど応急手当てする間待って貰えますか」といい、何やら器具を取り出して車内のコンセントにコードを差し込み、少し空気を送り込んでいるらしい。 もしかすると本格的にパンクしているのかもしれないので、エンベルさんは私をモスクの手前の赤信号で止まったところに私を下ろした。料金を払い、「ゲチミッシュ・オルスン!」と見舞いの言葉を言いながら時計を見ると、おおお、もう2時になろうとしている。 途中でパンクしているのが分かったとき、ほかの車に乗り換えるのも気の毒だから一応電話で知らせておいたので、エフェ君がモスクの前の交差点まで出て来てくれていた。 エフェ君とマキコさん、彼らは私の娘の友達で、ちょうど1年前の5月8日は日曜日、このカップルとエフェ君のお姉さん夫婦とその2人の男の子達、総勢7人でメフテル軍楽隊のコンサートに行き、デニズ少佐に紹介し記念撮影をしたのだった。 エフェ君は特殊任務の警察官で、東京勤務の時にマキコさんと知り合い、うちの娘にも紹介し、ときどき3人で食事したり仲良くしていたらしい。 去年のGWには既にアンカラの司令部勤務になっていたエフェ君は、日本から訪ねてきたマキコさんと結婚の決意を固め、その後昨年暮れから正月にかけてトルコに来たマキコさんと彼女の両親、エフェ君の家族も揃って、めでたく婚約を交わしたのだった。 ドルマバフチェ宮殿の時計塔カフェは、私も以前はたくさんのお客さんをご案内したところだったが、このところ落ち着いてここでチャイを飲むことも途絶えてしまっていたので、この青空を映した海を前にして、今年の9月に結婚式を控えた幸せな2人と、朗らかな姉のアイシェンさんとも再会出来たのが本当に嬉しかった。 やがてこの2週間近くずっと日本語に遠ざかっていたマキコさんが、私と心ゆくまで日本語で喋れるように、とエフェさん姉弟は4時くらいまで1時間半ほど出かけて来ると言って席を立った。 幸せな2人。アイシェンさんもマキコさんが可愛くて仕方ない様子です。 マキコさんはエフェ君の家族の誰にも好かれていて、幸せいっぱいな結婚生活が待っているのだが、不安や悩みがないわけでもない。彼の職業柄3年に一度くらいの転勤がある。それも、現在は地中海沿いのメルシンと言う、大きな港町にいるのだが、結婚した後来年頃にはトルコの南東部への転勤が予定されていた。 しかしながら、彼女は社会経験も積み、専門職の資格を持っているので、地方回りをしている間に、トルコ語も学校に通ってしっかり覚え、いずれは自分の境地を自分で切り開こう、と考えているのだった。専業主婦でいてくれ、という彼や家族全員の気持ちに逆らうことなく、何年かがかりで実現させようと言う、進取の気性に富んだ人であるのがよく分かった。 そのうちに、芝生席や波打ち際のテラスにいた人達が大急ぎで動き始めた。さっきまでいいお天気だったのにいつの間にか海の上に黒い雲が広がっているのが見え、雨が降ってきた。それもものすごい音を立てて、土砂降りなのである。 「加瀬さん、お布団、濡れてしまいましたね」 「ほんと。驚いた天気だこと。取りこんでくればよかった~。まさか、こんなに早く降るとは知らなかったわ」 私は秋田出身の姑が、にわか雨が降ると、「朝てっかりの婿泣かせだよ」とよく言っていたのを思い出した。 朝てっかりというのは朝焼けのことで、昔、農家の入り婿は朝焼けで空がきれいに晴れると、「さあ、さあ、早く野良に出かけて一仕事して来いや」と舅・姑に追い立てられて田や畑に出かけて行かざるを得ず、昼が過ぎたか過ぎないか、という頃になると、いきなり驟雨に襲われて仕事を中断せざるを得ない、という諺なのだそうだ。 イスタンブールもこの時期には、結構朝てっかりがよくある。私は滅多に洗濯物を濡らした失敗はない。でも今日は完敗だ。大物はそうそう洗うわけではないが、これだけ降ればチュクルジュマだけ逃れた、ということもあるまい。 4時過ぎ、エフェさんが戻ってきた。アイシェンさんは駐車場にいると言う。私達は次の日、また会う約束をしていたので、日本語のお喋りはお開きとなった。 家の前まで送って貰ったので手を振り合ってエフェ君の車を見送り、急いで4階に上って見ると、がっかりする光景が待っていた。 もう一度洗濯機に入れ直し、洗ってもまだすぐには干せなかった。夜になって、星がどのくらい出ているかを見てからである。夜中にまた濡らしてしまわないように用心した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017年05月11日 11時59分34秒
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