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カテゴリ:イスタンブール日々新たなり
【5月12日・金曜日】 4時過ぎに目覚めたのでそのまま起きて、1週間も10日も遅れているブログの続きを書き出すとほどなく、夜明けのエザーンが始まったので台所のカーテンを少し開けてみたら、今日もよい天気の兆しが見えた。 昨夜は疲れ果てて、本当は風呂で足腰を温めてから横になれば、疲れも痛みも軽減されるのは分かっているのだが、その元気もなく寝てしまったのだった。私は浴槽に湯を汲みながら、またパソコンに戻るとついお湯を溜めているのを忘れて、いつかのように1時間もガスを焚きっぱなしで溢れたお湯を無駄に下水に流してしまったりしないように、今日はパソコンを閉じ、台所で立ち仕事をすることにした。 夕べ水に漬けたワラビを拵えることなら、音も立てないで済むし一番いいだろう。アフメットさんは10年以上も前から、ワラビ採りに行く時のボデーガードを務めてくれている人である。摘むのを手伝ってくれるのはいいが、どれが食べごろのワラビの芽なのか見せても教えても駄目、それに茎や葉が伸びてしまったものは、茎ごと折らずに枝先の柔らかい葉の部分だけを摘んで、佃煮にしたり、色々な料理に緑として添えるのだ、と説明しても聞く耳持たばこそ。 とにかく短時間でたくさん摘むためにはいちいちその場で吟味などしていられない、とりあえずブチブチ茎ごと引きちぎり、あとでゆっくり仕分けすれば済むじゃないですか、という意見なので、気が合わなかった。でも、私が行かれないから、と摘みに行ってくれるだけでもありがたく思わなくてはいけないのに、貰ったものに文句をつけていては、私もバチ当たりになってしまう。 これをきれいに拵えて出来るだけ多く食卓に載せるようにして、他人様の好意を無にしないことが大事。黙々としてより分けているうちに、空も次第に明るくなって来て、風呂もちょうどいい具合に溜まったので、首まで浸かってゆっくり温まった。 ついでに浴槽や風呂場の床もちょこちょこっと掃除したが、先日マキコさんと見に行ったマンションのモデルルームで、接着部分に0.5ミリくらいのずれを見ても、気になるマキコさんと、22年もトルコで暮らして、トルコ流が慣れっこになってしまっている私との「審美眼」の差には恐ろしい開きがあるのを感じた。 2年前の夏、風呂場内のトイレのクローゼットや水回り全体を取り替え・修繕工事をした時に、必要部品を買いに行った店の前で出会った職人が、「俺はこの店の専属のウスタだ」と嘘をついて、わが家に一緒にやって来た。 次の日からその男が工事に来たのだが、思い切り仕事が雑で、口を開けば自分がどんなに上手な職人であるかをペラペラと並べ立て、あとは金の話と私に対して「旦那はいないのか、男に興味がないのか。誘ってくれる男はいないのか」などと無礼なことを矢継ぎ早に聞くのである。 「ウスタ、ケンディ・イシネ・バク(自分の仕事をちゃんとしろ)!」と怒ったことがあった。そのウスタが新しく取り付けたクローゼット(トイレ)の、タイルの床との接着部分だが、このデリカシーのかけらもない、雑なウスタがシリコンをでたらめに外側から塗りたくってあるだけなので、そこに埃やごみや猫の毛がくっついて、シリコン自体が2,3日掃除しないと汚れ落としのボロキレみたいに、思い切り汚くなってしまうのである。 いつか、一日がかりでそのシリコンを丈夫なカッターで切り取り、クローゼットをジフで磨いて真っ白にしてから平らにきれいに塗り直すぞ、と思ってもそうする時間もない内に2年近く経ってしまった。 元カプジュの女房が娘を連れて掃除に来るたび盗みを働いたり、私の古い書類を入れた段ボールをときどき猫のせいにしてわざとひっくり返し、実は私が何をされると困るか、よく知っているので年月順に区分けして保存してあったものも、めちゃくちゃにかき集め、ダンボールにぶち込んで帰ってしまうのを後で気づいてももうどうしようもない。 「ジャポン・テイゼ、箱の中の書類、整頓して詰め直しておいてやったよ」と、しゃあしゃあと言う女へ、知らぬが仏、「あら、ありがとう」などと言っていたのだ。財布からお金を払う時、もう自分で私の財布の中から前金を盗み出して、二重取りしているとはつゆ知らず、「ご苦労さま」などとねぎらいの言葉までかけたのに。 本当によくよくうんざりすることをされていたのに気づいたのがずっと後のことなので、それらのダンボール何箱にものぼる書類はもう、整理する時間がなくて元に戻せないのである。と言うより、そのまま捨ててしまえば片付くのは確かなのだが、時間もない上に、私には見ずに捨てる勇気もない。 今朝、朝食は昨日の残りご飯でワラビの葉を入れておじやを炊き、非常にいい天気なので、8時を過ぎた頃から掛け布団を洗った。毛布と普通の衣類やタオルなども、今日のうちに全部洗って順に干そう、という気になった。 3度にわたって洗濯機を回し、まずは掛け布団から台所の外の物干し場に広げた。左側のガラス戸から身を乗り出して、綱に添って横から見るとU字型になるよう広げて行く。猫達はほとんど全部が私の行くところ、行くところに付いてくるので、ちょっとだけでも頭や背中を撫でてやると嬉しそうだ。でも7匹全部撫でてやるのもけっこう時間がかかる。 しかも、その合間に世界やトルコや日本の情勢も知っておこうと欲張って、テレビも点けっ放し、パソコンも開きっ放しで、ちょっとでも手が空くと椅子に腰かけメールやコメントやニュースを読んだりもする。ときどき席を立って、猫が布団の上に乗ったりしていないか、台所の物干し場を見回りに行く。 猫達がおとなしく日の当たり始めた干し場で日向ぼっこをしたり歩いたりしているが、白猫オグリがタンブルと喧嘩をしている向こうでは、ミディエがいい気持ちそうに座っている。真夏のように空は真っ青、2時間もすれば布団を裏返しに出来そうだ。 ミディエ姐さん、寝ぼけて下に落ちないようにね! オグリが陽だまりに登らせてやりません。べそ書き顔のタンブルは家来にされています。 キリム柄の掛け布団。5月半ばだと言うのに、未だに毛布も掛け布団も使っています。 11時のニュースを見た後、掛け布団を裏返し、昼までにワラビの方は食べられない部分と、食卓に載せられるものを分別して、重曹を入れて茹でてたり、出来るだけ無駄を出さないように拵えた。ウスキュダルのアフメットさんにもお礼の電話をかけた。 左手前の鍋、ワラビの芽として食べられるもの。右、ワラビの葉を茹でたもの。 左奥の鍋、ワラビの茹で汁。右奥はゴミ入れ、捨てるものの方が断然多いです。 昼食はお好み焼きにし、ワラビの茎や葉を細かく刻んで混ぜると、山芋を擂り下ろして混ぜたような粘り効果があり、この食事の支度をしている間に、毛布を洗っておいた。1時半頃、まだしばらくこの物干しに日が当たるので、掛け布団を取り込み、毛布を一番先のロープにたくさん掛かるようにして干した。(長く日が当たる) 毛布の後に、洗濯機の中には数日間洗濯が出来なかったので、まとめて2回分の下着やTシャツ、タオル、室内で着ている普段着を入れて洗い、廊下の天井に吊るしてある日本製のピンチ・ハンガーにかけた。西のベランダは洗濯物を干す場がないので、ウールとアクリル混紡の毛布を取り入れたらすぐ外に移動させれば少なくとも風があるので夕方まで吊るしておくだけでもかなり乾く。 夕べの睡眠は4時間半くらいだったので、漠然とした眠気や、ふくらはぎとか大腿四頭筋が張ってしまっており、身体全体が倦怠感に包まれているような気がした。本当は2時間くらい昼寝すればいいのだがなあ、と思いつつも、書きかけのブログが気になって、いざ書き始めると後から後から用事を思いだすので、集中してすらすらと書けず、そろそろ毛布を裏返えす頃合いね、と台所に行って裏返しているとき、洗濯バサミの1つがピ~ンと飛んで下のコリドールに落ちてしまった。 洗濯バサミは中国製だが日本からV子が買って来てくれたものなので、そのまま捨ててしまうわけにはいかない、と久々に下へ拾いに行った。行くついでに空き缶などのごみの袋を下ろし、裏のコリドールに行くと幸い古い木の扉の立てかけてある下に洗濯バサミが落ちていたので拾ってブラウスの襟に止め、表に出てきたら、ちょうど向かいの骨董屋のあるじ、トム・ウスタが店の前にマミー猫がいたので餌を持って出てきたところに出会った。 呼ばれて店に入るとこのところウスタはいつも一人で、息子のトゥナさんは毎日夏休みで店には出て来ないのだそうだ。コーヒーを淹れてくれたのでご馳走になった。もともと先祖はトルコ人だが、トム・ウスタはブルガリアで生まれ育ち、奥さんがブルガリア人、息子に「トゥナ」(ドナウ川=ダニューブ川)と名付けて、彼がまだ幼い頃、イスタンブールに先祖の残した家があったので、移住して来たのだそうだ。 オスマン朝時代にブルガリアで暮らしたトルコ人の子孫と、日本の千葉県の片隅で生まれた私が、何でチュクルジュマにいてときどき世間話などしているの? トム・ウスタはグランド・バザールでも骨董品店を持ち、彫金や勲章のデザインなどをしていたらしいが、30何年か前にイスタンブールに戻ったとき、チュクルジュマの今の店も買い、ずっと人に貸していたが、7~8年前にここで気ままに商売しよう、と決めたのだそうだ。 「チュクルジュマもさびれてしまったよね。今日はツーリストらしい人、全然見かけないよ。マダム、あなたが最初の訪問者だから、時間があるならゆっくりして行きなさいよ」と言ってくれたが、毛布をそろそろ取り込んでハンガーの衣類を干そうと思い、暇乞いした。いつも手作業で何かを作ったり、改造したりしている昔気質の働き者、トム・ウスタ。 それに、ヨーロッパ諸国を貫いて流れるドナウ川はどんな川なのだろう。私は自分が江戸川のほとりで生まれ育ったせいか、「川」には格別な思いがあった。 さて、家に戻ると、アクリル混紡の毛布は既によく乾いていたので取り込み、3つ目の洗濯物を外に出した。ピンチ・ハンガーにはぎっしり衣類やタオルがかかっているので重かったが、フックを腕木の穴に通し、吊るして置いて寝る前に取り込めば、明日の朝には室内の廊下でもすっかり乾いてしまうだろう。 猫達に缶詰を開けてやり、おとなしいうちに私も夕飯の支度にかかり、インドミーの焼きそばに、挽き肉や残り野菜などを混ぜて、そこにワラビも加え、これが1.25リラ(約40円)のインスタントラーメンを基にして出来た焼きそばか、と大満足しつつ食べた。 これが、馬鹿に出来ない美味しい焼きそばで、インドミーも麺をよく研究しているなあ、と感心。 その夜はオスマン朝時代末期の、スルタン・アブデュルハミット2世の人生を描く連続ドラマ「Payitaht Abdulhamit(帝王アブデュルハミット)」があったので、このところ金曜日は見逃すことが多かったため、久々に見てみたら、ドラマの中で耳慣れたメロディがBGMとして流れていた。 それはメフテル軍楽隊のコンサートでもしばしば聞いたことのある、「Plevne Marsi」で、別名「オスマン・パシャ・マルシュ(マーチ)」。ロシアとの戦争で、アブデュルハミット2世の忠臣、オスマン・パシャがブルガリアのドナウ川南岸のプレヴネ砦を145日に渡って死守した様子を歌った歌なのである。 そうなると、私が今日中に書き上げようと必死に頑張っているブログの原稿を打つ手がのろのろとなり、文章を考える頭の機能がまるで停まってしまう。がっくり疲れて寝床に入ったのがまた12時頃。 というわけで、今日もやっぱり、昼寝も掃除も出来なかった~、全然怠けてるつもりはないのに・・・ 足を延ばして昼間洗ったばかりの毛布や掛け布団を胸まで引き上げた途端、忘れものに気づいて飛び起きた。 あれよ、あれ、あれ。洗濯物、洗濯物! ピンチ・ハンガー、中に入れなきゃ。 おまけ そうそう、もう一つ、いいことがあったのです。 今朝10時半頃、ジハンギルタクシーの88号車の持ち主、ヤシャルさんから電話が来て、 「ユミコ、昨日の朝、靴を車の中に忘れて行ったろう」 「え~っ、忘れたわけじゃないのよ、降りるときどこにも見えなかったのに、どこにあったの?」 「あはは、あんたの座ったシートの下にもぐり込んでいたんだ。運転手もはじめ気づかなかったんだけど、俺と交代するとき、掃除してシートをずらしたら見つかったんだってよ。靴は俺が預かっているから、そのうち、お宅の前を通るような時、届けるよ。もし急ぎで使うなら今日、アパルトマンに届けてあげようか?」 「ありがとう。でも大丈夫。私もジハンギルに行くようだったら、あなたに電話するわね」 あああ、突然消えてしまったスニーカー、なんとシートの下にねえ・・・ でもこうして知らせて貰ったおかげで、なんて気分が晴れ晴れしたことでしょう。 こういうのも小さな幸せと言うのでしょう、まさに。 私は宝くじのアモーレ(元金返し)が当たったような、ちょっぴり幸せ気分でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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