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madamkaseのトルコ行進曲

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 marnon1104@ お久し振りです (。≧ω≦)ノ!! kaseさんのお誕生日だったのですね。 お元…
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2017年06月26日
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【6月26日・月曜日】


 8時頃から2人で交替に風呂に入り、洗髪もしてからホテルの屋上にある朝食サロンで、気持ちよく風の吹き抜けるテラスの日陰に席を取り、ゆっくりと朝食を取った。

 「お母さん、髪の毛中途半端な長さで鬱陶しそうだから、美容院に行ってカットして来ない? 去年みたいなボブカットがお母さんには一番似合っていると思うけど。染めるにも洗うにも簡単でいいし・・・」
「そうだね。でもバイラムだから、商店ならともかくサービス業は休みかもしれないよ」

 11時頃、レセプションに「12時のチェックアウトまでには戻ります」と声をかけて2人でジハンギルの街に出た。思った通り、ジハンギルには美容院がたくさんあるが、どこもお休み。私はせっかくこのあたりに来たのだから、昔馴染みの肉屋さんやジハンギル・タクシーのヤズハーネ(事務所)に寄ってみようよ」と勧めた。

kahvalti  
泊まったホテルの屋上で、爽やかな風の中の朝食。
娘が着ていたブラウスを置いて行ってくれました。


 1990年のイラク・クウェートの湾岸戦争が終わった頃からV子が住み始めたジハンギルには、まだ日本人の若い女の子など余りいなかったので、珍しがられ、V子にはたくさんの知り合いがいた。丘のてっぺんにあるタキシム広場からは、放射状に幾つもの通りが下り坂を構成しており、チュクルジュマは、イスティクラール通りからも、スラセルビレル通りからも擂り鉢の中に下りるように、坂の勾配が半端ではない。

 だからこそ、海に面した断崖の上にあるイスタンブールの街の景色が絶景と言われる所以なのだが、人口1400万と言われるイスタンブールは、夏場は人口が半減すると言われるくらい閑散としている。

 肉屋のシェヴケットおじさんも、ジハンギル・タクシーのアリ・カルタルおじさんも、昔馴染みの運転手さん達も、V子、V子と満面に笑みをたたえて迎え入れてくれた。肉屋さんは職場のトルコ人同僚のために、キョフテ(肉団子)の香辛料を5つほど買ったら、お金はいいよ、いいよと言い、ジハンギル・タクシーの詰め所では、淹れたての美味しいチャイやバクラヴァを振る舞ってくれた。

 やっぱり、昔馴染みの人達っていいよね、とV子は言った。1988年7月、ファーティヒ・スルタン・メフメット大橋の開通式で、彼女が初めて訪れた29年前のトルコは、街のたたずまいこそ今よりずっと貧しい雰囲気だったが、その分、人々は今のように隙あらば、というような顔つきはしていなかったし、誰もが相手思いだったような気がする、と改めて言うのだった。私も同感だ。

 もと私達が住んでいたジハンギルのアカルス通りでは、数メートルごとに知り合いと出会った。ホテルに戻って荷物をまとめ、チェックアウトするV子と私は二手に分かれ、私はスーパーに立ち寄って野菜と洗剤などを調達、家に戻って水フィルター掃除機の中を洗ったり、奥の寝室にV子の荷づくりに必要な段ボールなどを準備しておいた。

 ほどなくホテルから荷物を積んでタクシーで戻ってきた娘と2人で、買い置きしてあったビールを出して、煎餅をつまみに乾杯し、1時間ばかりゆっくりした後、V子は最後の買い物にジハンギルへの坂を上って行った。

 土産に頼まれたチーズやバターなどの乳製品を最後のぎりぎりの時刻に買いに行ったので、私はその間に夕飯の支度をした。11月に来た時に、私の炊飯器がいい加減古くなっているので、新しいものを買って来てくれたのだが、私がまだ古い方に暇を出すのをもったいながって使っていなかったために、急遽家を出る前に自分でセットして、あきた小町を1合仕掛けておいてくれた。

 T子さんの土産のイワシのゴマ煮、V子の土産の横浜シュウマイを温め、インスタントスープなどで手軽に夕食を作り、V子がまた4本入りセットのビールを買ってきたのでそれを開け、前夜の屋上テラスの豪華レストランもいいが、やっぱり家で食べるのが一番落ち着く、と晩餐でビールも進み、楽しく語り合った。

aksam yemegi  
娘との最後の晩餐。T子さんとV子の土産からおかずを並べ、ビールをたくさん飲みました。


 夜10時に家を出るまで、新しいパソコンを立ち上げ、初期設定がやった通りに機能するかどうか確かめて貰った。最後にもう一度シャワーを浴びて娘は荷づくりの終わった小型スーツケース2個と段ボール1箱を入り口の手前に並べると、そこにはすぐに3匹の猫が丸まってちゃっかりと乗り、V子が出て行くのを分かっている様子だった。

 次第に別れの時刻は迫ってきた。ブラウスを取り替え、麦わら帽子と脱いだブラウスを私に置いて行った。10時半に私がジハンギル・タクシーを頼み、猫達の頭を順に撫でてV子は廊下に出た。私もすぐそれに続き、アパルトマンの前に出るとほどなくタクシーが到着、娘は年に一度の夏季休暇に、いつも通り、風のように来て風のように去って行った。

 ちょうど同じ時に、向かいのギュルセレンさんの家からも、市内の別な地区に住んでいる次男のアーディルさんとアゼルバイジャンから来た嫁さんが出て来て、坂を下り始めた。タクシーを見送ってアパルトマンの扉の内側に入ると、ギュルセレンさんが私に何か言っているので、「家に行ってから電話するわね」とジェスチャーで見せて、私はエレベーターに乗った。

 片付けた食器類を猫に落とされないようシンクの中に全部入れて、ギュルセレンさんに電話してみると、ギュルセレンさんは私にお茶に来ないかと誘ってくれたのだった。

「マダム、よかったら家へ来ませんか。今日、息子夫婦が来ていたので、お嬢さんと一緒にお招きしたいと思っていたけど、V子さんはもう帰る時刻だったのね」

 私は即座に呼ばれて行く気になって「まあ、何もお土産に出来るものがないんだけど、手ぶらでいいかしら?」と言った。

 5分後には着のみ着のままでギュルセレンさんの家のダイニングキッチンで、山のように彼女の焼いたケーキの並んだテーブルに私も座っていた。猫にボロボロにされて、膝の突き抜けた七分丈の白いパンタロン姿である。

「こんな恰好のままで失礼」と私が言うと、
「あら、マダム、いいじゃない。今の若い人はみんな擦り切れたGパンを穿くのが流行よ、すごくモダンで若い人を負かしてるわ」とギュルセレンさんが答えたので、娘のブケットさんと3人で大笑いした。

 今日は下の階のブラック・ウスタ夫婦が出かけていていないのだそうで、ギュルセレンさんとブケットさん、バイラムの挨拶に母親と姉に会いに来たアーディルさん夫婦にとっても平和なひとときが過ごせたらしい。

 ブケットさんが冷蔵庫からきれいなフルーツケーキを取り出した。6月24日が彼女の誕生日だったのだそうだが、バイラムになるので弟のアーディルさんが、26日にケーキを持って行くから、バイラムも兼ねて一緒にお祝いしようと、今日の午後、嫁さんと訪ねて来てくれたのだそうだ。

 その頃、V子が買い物に行くときに、「お母さん、何か食べたいものがあったら買って来るよ、何が欲しい?」と言ったので、じゃあ、ショートケーキか、ドンドゥルマ(アイスクリーム)をデザートに頼むよ」と言ったのだが、余りにたくさん買い物をして来たので、ケーキもアイスクリームもケロリと忘れてしまったそうな。

 夕方食べそこなったものを、今ここでご馳走になれるとは! 時刻は12時をまわろうとしている。最後にもう1杯チャイを注いで貰って、それを飲み終わったところで、暇乞いをした。

 いい具合にまだブラック・ウスタ夫婦は帰って来ていないようだ。ギュルセレンさんが私の明日のおやつに、とたくさん手作りのパンやケーキを包み、ブケットさんが明日のお楽しみに、ともう一切れフルーツケーキを持たせてくれたので、けっこうな荷物になり、ブケットさんが先に立ってそれらを持ち、階段を懐中電灯で照らして玄関で待っていてくれた。ウスタが母親と姉への嫌がらせに、もう何年も前に2階の階段の電源を壊してしまったのである。
 
 私が靴を履いているとV子の日本の携帯から電話が入り、無事に搭乗口の待合室に入ったので、心配しないように、と言う。ギュルセレンさんのところでご馳走になったことを言うと、午後買い物に行く時にギュルセレンさんの家の玄関前で出会い、抱き合って久々の再会の挨拶を交わしたのだそうだ。

 時計を見ると12時半、1時間後くらいに飛行機は離陸するのだろう。ギュルセレンさんは郷里で看病していたお母さんが3月半ばに亡くなり、後始末をした後、3月末にはイスタンブールに戻って来て、また向かいで暮らすことになったので、V子も少し安心したようだ。

 私のバイラム2日目はこのように、前日に続いて慌ただしく終わった。
 




 










   かに座さそり座いて座
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madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房)




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Last updated  2017年07月02日 19時24分47秒
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