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カテゴリ:トルコと日本と世界の出来事
【7月15日・土曜日】 ちょうど1年前、2016年の7月15日夜、外国人の私達はもとより、トルコ国民ですら寝耳に水のクーデターが勃発、イスタンブールのボスポラス海峡にかかる2つの橋を、戦車や消防車や救急車などが占拠したことから始まり、アンカラではF16戦闘機が軍警察本部、警察司令本部、国会議事堂などを次々に爆撃し、アタテュルク空港には夥しい数の戦車、消防車、救急車などが集結し始め、一時空港は離着陸不能となった。 ちょうどこの日、マルマリスのさるホテルで避暑を楽しんでいた大統領の一家に、大統領の親戚筋から、暗殺部隊が向かっているという情報が入り、まるで「007」映画のクライマックスのように、爆撃される寸前にボデーガード達に守られてヘリコプターで一家は脱出し、直近の空港に待機させてあった大統領専用機で、アンカラは反乱部隊の爆撃が熾烈なので、イスタンブールに向かったのだった。 アンカラの国営放送TRT1, TRTHABERは、反乱部隊に乗っ取られ、大統領は民間局の電波に交渉、みずから、携帯電話の画面から全国民に呼びかけた。 「民主主義を守り、国を守るために皆さんを広場に招集いたします。恐れることはありません! 家の近くの広場に集まり、国を守りましょう!」 すると、夜中だと言うのに国民はみんな大人も子供も家を出て、どこにそんなに大量に用意してあったのか、手に手に赤地に白く三日月と星の染め抜かれたトルコ国旗を振り振り、続々と広場に集まり始めたのだった。 真夜中になると、クーデターは制圧されたとの放送が流れ、アンカラからイスタンブールまで政府軍のF16戦闘機が何機も偵察に来て、超低空飛行をし、タキシム広場には何千、何万と人が集まって来ているらしく、戦闘機は何度も民衆を鼓舞し、恐ろしい爆音を立てて急上昇するので、さすがに私も耳をつんざくこの逆噴射音に恐れをなして、硝子戸がびりびり振動するなか、布団を被ってじっと息を殺していた。 やっと戦闘機が飛び去り、タキシム広場やガラタサライ広場からは風に乗って大歓声が流れて来る。私は満2歳を過ぎたばかりの昭和45年3がつ10日の東京大空襲の夜、祖母に抱かれて防空壕に避難し、絶え間ないサイレンの音とB29の編隊が流山の上空をも襲い飛び去る、恐怖の音を思い出してしまった。 その後、イスタンブール・アタテュルク空港で大統領、ユルドゥルム首相などが参集し、陸軍参謀総長フルシ・アカル大将も、人質にされていたのが救出され、トルコ政府軍はぐん仁、市民合わせて250名近い犠牲者を出したものの、反乱軍を僅か半日で制圧、その後も国民の半分くらいが熱に浮かされたように、ヨイヤサ、ヨイヤサと国旗を振りながら毎夜広場に集まるのが日課になり、その後、このクーデター事件は、アメリカのペンシルヴァニア州に住む、ギュレン教団の宗主フェトフッラー師の洗脳による国家転覆をはかるテロリスト集団の引き起こしたもの、と政府によって断定された。 7月21日から全国に非常事態宣言が敷かれ、50年も親しまれたボアズ・キョプルスの名は「オンベシ・テンムズ・シェヒットレル・ヴェ・ガージレリン・キョプルス」と変えられた。 (ボスポラス大橋から7月15日戦没者と戦傷者達の橋に変更) 7月15日橋のアジア側のたもとに集結した人々。記念式典はそこで夜、行われた。 大統領夫妻、その家族が端の下の取り付け道路から徒歩で会場に入ります。 それから1年経ち、トルコ国民は「大統領派」と「そうでない派」に、真っ二つに分断された感がある。多くの軍人や警察官が逮捕され、民間人でもどういう基準か分からないが、偵察、密告、いろいろな手段で何万人にも上る司法関係者、公務員、教員、新聞記者、作家、民衆運動家等が逮捕されたり、職場を追われたりして、その混乱はいまだに収まらない。 1年の間に物価の上昇は天井知らずとまで言われ、トルコ市民に失業者増大、若者はやる気をなくし、詐欺や横領事件が増え、テレビ界には一獲千金番組が急増している。シリアからの難民300万人近くを抱え込んでいるトルコであるが、イラク難民にも門戸を開くと大統領は胸を叩いて約束し、国内に仕事がなくて毎日うろうろしているトルコ難民にも、やがてそれなりの処遇をしてくれるといいのだが、と外国人である私ははらはらしながら傍観するしかないのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017年07月25日 16時20分19秒
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