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madamkaseのトルコ行進曲

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 marnon1104@ お久し振りです (。≧ω≦)ノ!! kaseさんのお誕生日だったのですね。 お元…
 marnon1104@ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) kaseさん、こんにちは(*'▽')♪ …
 madamkase@ Re[1]:渡航記念日(03/16) 高見由紀さんへ こんにちわ、イスタンブ…
 madamkase@ Re:渡航記念日(03/16) marnon1104さん、こんにちわ。 3月に書い…
 madamkase@ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) ひなのさん、おひさしぶりです。 トルコは…

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2017年12月07日
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【12月7日(木曜日)初日】


 前夜の冷たい雨風とはがらりと変わり、春を思わせる好天に恵まれ、アラアッディン大通りの開幕パレードに参加、先頭を練り歩くメフテル軍楽隊のしんがりに並ばせて貰い、それに続くセマーゼンとの間で、県庁前からメヴラーナ広場までの約1キロを行進しました。去年に続いて2度目です。

Konya Mehter  1  
シェビィ・アルースの開幕日、恒例の開幕パレードが始まります。
右はメティン中佐、左はデニズ少佐、幸せいっぱい、今年最高の日

semazenler  
メフテル軍楽隊を先頭に、そのあとをセマーゼンの皆さんが続きます。

Konya Mehter  2  
メヴラーナ広場に近づくと博物館の緑のドームが見えてきます。

Konya Mehter  3  
キョスゼン(大太鼓奏者)シェラーフェッティンさん


 広場で最初のコンサート、そのあと、セマー儀式のポストニシン(道場の長)であるファフリ・オズチャクル氏を、メヴラーナ文化センターに表敬訪問、開幕日の招待券をいただき、氏の公用車でメフテル軍楽隊の第2回目のコンサート会場に送っていただきました。ところが、最初のコンサートで動画を僅か数分撮ったために、思い切り古めかしい私のデジカメのバッテリーが、前夜充電しておいたのにも関わらず早々と空っぽの警告、あいにくチャージセットを持たずに出てしまったので、コンサート会場でメフテルの皆さんと別れ、泊めていただいている友人アブデュラーさんの郊外の家まで、バスのターミナルで聞いても聞いても、どの路線がそちら方面に行くのか、さっぱりわかりません。

 あちこちうろうろしながら30分以上過ぎ、家には小一時間後やっと帰りつきましたが、充電を始めた途端に、私に起こりがちなイスタンブール都市伝説、それがここでも停電になったのです!

 夜8時のセマー儀式の開幕まで間に合わせたいので、ハラハラドキドキ、奥さんやお姉さんたちが腹ごしらえをしていらっしゃい、とろうそくの明かりの中で軽食を温めてくれたので、それをいただいているうちにほどなくパッと電気が点きました。

 ああ、助かった、あと少し充電できればセマーだけなら大丈夫、と思った矢先、また電気が消えて真っ暗に・・・・大急ぎで食事を終わらせ、トートバッグを抱えてチャージセットも外し、鞄に入れた途端に電気が! 散々おちょくられたものの、多少なりとバッテリーもチャージされ、奥さんが門まで送ってくれたので、今度は下り坂をせっせと転ばぬように下りてゆくと、いい具合にちょうどメヴラーナ文化センターの真ん前で下ろしてくれる、ぴったりコースのドルムシュ(乗り合いマイクロバス)が来ました。

 8時ちょうどに会場に飛び込んで息を切らして指定席まで行くと、揃いの茶色の丈長なベストを着た学生アルバイトの若者たちが待ち構えていて、私の重いバッグを持って、階段を下りる手助けをしてくれました。かつて軍事博物館のコンサートホールで、階段式の観覧席の上の方から舞台に向かって転げ落ちた経験のある私は、こういうローマ風の劇場は苦手です。

 8時半開幕のはずが、一向に始まる気配がありません。例によってプロトコールの文化観光大臣や、政府や県のお偉いさんたちがまだ会場に到着していなかったようです。結局のところトルコ時間で30分以上遅れて開会となりました。

 メフテル軍楽隊の2回目のコンサートの後、急いで郊外の友人宅にデジカメのチャージに帰り、あろうことかやっと充電を始めたら停電、それも2回もです。でも動画さえ撮らなければ何とか写せるでしょう。夜7時20分、丘の中腹にある友人宅から出て、坂道を転げるようにバス通りまで下り、幸いメヴラーナ文化センターの真ん前を通るドルムシュ(乗り合いマイクロバス)がすぐに来て、運転手さんがとても親切に、近道の裏門の前で降ろしてくれました。

 息を切らせて小走りに入場口に行くと、セキュリティの長い行列のところで、コンヤ県文化観光局の課長メフメット・ユンデムさんが、行列の先頭にいた女性たちの一行に「毎年お見えになる日本のご婦人にどうぞ順番を譲ってあげてください」と頼んでくれたので、女性たちはニコニコ顔でどうぞ、どうぞ、と快く先頭に入れてくれました。

 おかげですぐにセキュリティを通過、建物は円形になっていて、2階にセマー・サロンの入り口があり、階段を上って観覧席は3階から下に向かって降りる古代劇場風で、正面にミュージシャンの席があり、その向こう側に招待者用のDブロックがあり、会場整理の若者たちが揃いの茶色のベストを着て、私をみるとすぐにバッグを持ち、5段目の席までゆっくり付き添ってくれました。8時半開演に十分間に合いましたが、会場はまだ五分の入り、コンヤの地元のの人は心得ていて、どうせ来賓が遅れてくるので、8時30分ピタリには始まらないのを知っているのでしょう。それに主催側や来賓の長い挨拶やスピーチを聞く気はなく、ゲストのコンサートとセマーだけ見ればいい、と思っている人もたくさんいそうです。

 8時20分頃、元セマー楽団団長オメル・ファルック・ベルビランル氏が744回目のシェビィ・アルースの開催の祈りを捧げ、そのあと司会者が出て来て、英語とアラビア語の通訳女性が二人付き、主催者であるコンヤ文化観光局長、コンヤ市長、コンヤ県知事などの挨拶が続きました。毎年シェビィ・アルースの期間中、自分のバンドを引き連れてコンサートを開く国民的歌手アフメット・オズハン氏が30分に渡り美声を披露したあと、高名なメヴラーナ研究家のシェビィ・アルースに関する解説があって、9時40分頃、やっとセマーの儀式が始まることになりました。

 セマーの儀式の最高責任者であるポストニシン様の座る場所には、コンヤのキリムが1枚敷いてあり、まず若いセマーゼンの一人が、その上に赤い毛皮を置きに出てきます。旋回するセマーゼンたちの場所にはすでに白い毛皮が敷き詰められていて、セマーゼンたちの入場が始まりました。10時ちょうど、最後にポストニシン様が登場、ゆっくりと赤い毛皮の場所に進み、正座して正面に向かい一礼すると、ミュージシャンがメヴラーナを称えるナートという曲を歌います。このソリストは特別にナートハンと呼ばれ、選び抜かれた技量の持ち主だけが歌うことを許されています。初めて聞いた十数年前には「これが歌か」と私も本当にしびれてしまいました。

 セマーは3度の休息(1分程度)を挟んで4回、旋回が繰り返されます。これにはそれぞれ意味があるのですが、長くなるので省略します。セマーの最中、去年までは赤、黄色、緑と最後の海の底のような紫色の照明がどぎつくて閉口し、最後は写真を撮ってもはっきり出ないので、ポストニシン様に相談してみました。今年は少し改善されていたのがわかりましたが、照明の技師はきっとよくよくあの紫色を気に入っているのでしょう。

 その夜はたいそう遅くなり、友人宅に帰るにも家に着いたのが12時半で、まるで夜遊び帰りのシンデレラ婆さんとなりました。

 セマーの儀式を途中で退席したことは一度もないのですが、今回は町中のホテルに泊まっているわけではないので、帰途に公共交通機関が無くなったら困ります。お世話になっているチャーダッシュ家を出る前に、トラムワイやバス、ドルムシュなどが何時まで動いているかを家の人に教わっておいたものの、やはり心配なのでセマーの最後の旋回が終わるところで席を立ちました。時に11時10分前。ドルムシュは11時頃までしか営業していないので、トラムかバスがいいとのこと。文化センターの建物の裏側に回ると、トラムワイの駅があり、そこからアラアッディン駅に、そして「メラム・トゥプ・ファキュルテシ」行きのバスに乗ることを考えていたのですが、普段12時まで動いているはずのトラムワイの駅は森閑としていて誰もいません。

 駅の向こう側にバス停もあるのですが、全然バスが来る気配もありません。時間ばかりどんどん過ぎて途方に暮れていたら、セマーの最後までいた聴衆が帰っていきます。バスの乗り場が表門の方に変更されているらしく、たくさんの市営バスがはるか遠方の踏切を渡ってあとあと出発していくのが見えました。表門の方に回っている間にトラムが来てしまうかも、バスが来てしまうかも、とそこを離れるわけにもいかずいたずらに夜が更けていくのに身動きが取れません。すると、二人組の中年男性がトラムの駅に入ろうとしているので、「すみません、もう30分以上もここにいるのに、トラムも来ない、バスも来ないので、ここにいてはアラアッディンに行かれないのでしょうか」と聞いてみました。年長の男性が少し若いもう一人に何か言うと、彼は持っていた携帯でトラムの運行について調べてくれたのです。電話をしてくれたアリさんが、年長のメフメットさんに小声で何か伝えました。

 「奥さん、市の交通局ではフェスティバルが始まったので、今日からは11時に運行を停止して、保守点検で入庫することになっている、と言うんですよ。呆れたもんだ、シェビィ・アルースは毎年この日と決まっているんだから、保守点検は1ヵ月前から始めて、フェスティバルの間は夜中の1時まで動かせばいいのに、なんだい、連中は何を考えているんだ、やることが反対じゃないか!」

 アリさんはシャイな人らしく今度は携帯でバスの運行を調べてくれたようで、メフメットさんに何か耳打ちしました。
「奥さん、あと6分後にアラアッディンを通るバスがここに来るそうですよ。私らもそれに乗って、キュルトゥル・パルク(文化公園)まで行きますから、あなたもそこからメラム行きのバスに乗ればいいんですよ」
トルコもすごいな、都内のバスのように目的のバスが今どこにいて、何分後に到着する、などと言うのがわかるんだ~!

 スマホをいまだに持っていないガラケーお婆はびっくりです。キュルトゥル・パルクの停留所に電光掲示板で、何番のバスがあと何分で来るか表示が出ています。自分たちのバスの方が早く来たのに、メフメットさんとアリさんはそれぞれ自分のバスをやり過ごして、私のバスがくるまで待っていてくれました。

 メフメットさんは現役の頃は工業技師だったそうで、日本のマキタの工具を使っていましたよ、日本人は素晴らしい、働き者ばかりだ、と褒めてくれました。私こそ、トルコではお二方のような親切な方がたくさんいらして有難いですよ、と心から言い、やがてバスも来て親切なお二人に見送られ、暖かい気持ちになって、長い坂を上るにも大して苦にならず、コンヤはやっぱりいいところだと思ったのでした。アブデュラーさんの家でもあらかじめ電話連絡しておいたので、奥さんやお姉さんたちが、そろそろ着く頃ね、とチャイを沸かして待っていてくれたのでした。

ところで私は旅をするとき、特にシェビィ・アルースに来るときは、指輪、ネックレス、写真、スカーフなどなど、たくさんの品物を鞄に詰めて持ってきます。今は亡き人々の形見、あるいは写真などを一緒に持ってくるのです。いまに加瀬さんに会いにトルコに行きたいわ、と言って果たさずに星になってしまった人々を旅行先にご案内しているツアコンの気分です。こういう品を携えているので、コンヤの夜道は怖くありません。










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Last updated  2018年01月31日 21時31分41秒
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