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カテゴリ:ムックきのこクラブ
今年初の飛瀑「空也の滝」は実にすがしいスポットであった。 往きの電車で出会った相棒に語ったことだが、僕の専らの関心事は「神仏がいてもいなくっても自分には関係ないと思っている人たちの信というものの根拠をどこにおくのか」ということに尽きる。 そんな僕にとって、古代史のアニミズム自然神信仰の体系化からはじまった神道の国であるわが国が、新たに渡来した仏教をどのように採り入れていき、その体系的な整合性をつけていったかを追い続けてきた。そうした我が国の精神的文化形成の中心的な役割を果たしたのが、役小角に代表される山林修行者だと考えてきた。そして、その文化形成を積極的に支援した勢力が秦氏だと考えて、そのさまざまな断片的な資料を示す場所に可能なかぎり赴き、その土地のきのこに聴く旅を続けてきた。今年は京都とその周縁世界がその対象である。 昨日曜日、訪ねた愛宕山は過去に何度か登ってきたが、今回は下りル―トを表参道、水の尾方面に採らず、月輪寺、空也の滝ル―トへ降りることにした。 わが誕生月の5月は、山がもっとも美しい時節で、きのこ探訪会にはめずらしく巒気を胸いっぱいに吸い込んで高度差を稼ぐ旅であったが、一名の脱落者もなく20km弱の山道を踏破した。帰途、桂で下車し、歓談のひとときを持ったが、女性の方たちの嘆声に振り仰いだ繊月の美しさには忘れがたいものがあった。
サービス精神満点の若い住職に勧められムックきのこクラブでは初体験の記念撮影。O君、画伯、Sさんはワンちゃんにかまけて間に合わず。 愛宕山は、都の鬼門・艮(うしとら)の比叡山(848m)に対し、乾(いぬい)に位置し標高924mである。愛宕信仰は、大宝年間(701~4)に役小角がのちの白山開祖の僧・泰澄を伴い登り朝廷に願い出て神廟を建てたことにはじまるというが、おそらく782年に泰澄が開山、秦氏ともゆかりの深い和気清麻呂が白雲寺はじめ5寺を建立したのにはじまると思われる。祭神はイザナギの陰部を焼き生まれ落ちたという迦具土神で、愛宕大権現となり天狗の姿の愛宕権現太郎坊として愛宕聖、清滝聖衆らによって広められた火伏せの神である。 僕にとっては、その飛鳥時代から修験者の行き来した山であるとともに、鎌倉・室町にかけて浄土思想の黎明期まで最澄、空也、法然、親鸞などの宗教指導者たちを結びつけた月輪寺に秘かな期待を抱いて訪ねた。 そこでは「親鸞お手植えの時雨桜」とともに、またまた十一面観音像、十一面千手観音像が待ち受けていた。この観音の暗号は僕にとってはずっと気がかりなもののひとつであるが、この日出会ったきのこたちは、まだ少しのヒントを与えてくれるのみであった。
愛宕神社とそこへ至る最後の関門たる石段
シイタケとコガネニカワタケ
マツオウジとクヌギタケの仲間
ヌメリタンポタケとギンリョウソウ
ハナビラニカワタケとタマキクラゲ ベニタケの仲間
清滝川と愛宕山中間地点より展望した桂川西京方面
愛宕神社手前には今を盛りと八重桜が
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最終更新日
2013年05月14日 00時23分31秒
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