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カテゴリ:ムックきのこクラブ
昨日に引き続き、ここにご紹介する十一面観音像は、大安寺のものである。 大安寺は、南都七大寺の一つに数えられ南都仏教の一大センターとして多くの傑僧を輩出した。奈良時代の知識層の動向を探る者にとっては欠くべからざるトポスなのである。 といっても、ムックきのこクラブの「聖トポロジーのきのこの旅」は、その地を訪れてもただあっけらかんとした空間が広がるだけでさしてありがたみのあるものでもない。しかし、それがいささかでも予備知識をもって臨むと、また別の感慨が得られることも事実である。あらゆる事象は、自身のミクロコスモスにつなげるための想像力がなければ、何も語ってくれないのだ。 よほどの求めるものなしには「何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」と西行のようには行かなくて当たり前なのだ。 僕は、そのことをきのことはじめて出会ったとき教えられた。
昨年末ムックきのこクラブの納め会でたずねた冬ざれの大安寺 現存する大安寺は往時の10分の1くらいのこじんまりとした敷地で乳癌封じの寺となっているが、当時は最先鋭の国際的な学術センターだった。 僕は、昔々の高校時代とは異なり、仏像に対する関心はかなり薄らいでしまっているが、にもかかわらず、野辺の石仏や無名の木喰の徒の切実な執念のこもった像には心ひかれる。ここ、大安寺の蔵する仏像たちは、無名の作家というのではないが、いずれの像もとても眼光するどく挑発的なものでやはり天平という時代が決してのほほんとしたものでなかったことが伝わってくる。
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最終更新日
2013年05月16日 19時38分26秒
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