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カテゴリ:ムックきのこクラブ
交野山は古来、大和からは龍王山と呼ばれた原始修験の山で、生駒山稜の最北部のニギハヤヒ、ナガスネ彦を奉じる登美族の本拠地を貫く富尾川の源流に位置していて、標高こそ344mと低いが、妙見宮や星神を祭る機物神社が支流の天野川流域にも点在し、心さわぐ土地である。
交野山の頂上部には巨大な磐座で占められ、西面の交野平野に向いて観音の種字「サ」音が刻まれるところから観音岩と呼ばれている。 観音、とりわけ十一面観音は、この峰伝いに平野へと降臨し、矢田寺、法隆寺、薬師寺もこの山岳信仰に結びついていると白州正子は語っている。
観音岩の頂部に立つと東西南北が遥かまで見とおすことができ、涼風が来し方の山路で流した汗を乾かしてくれる。
いつものとおり、可憐な生き物たちが可憐な同行者たちにほほえみかける山旅をくりかえしてきて、本当に心充実するひとときをたのしむことができマダラーノフはつくづく幸せ者だと思う。
石仏の道をたどり、きのこや植物に堪能しつつ無事、山を下って神宮寺町をあちみこちみしながら歩くメンバーたち。
交野山をめぐりJR学研都市線の津田駅へ帰るまでの5指に余るため池で里の生きものたちが生活を営んでいるのを眺めるともなく眺めてきた。
(左)右、施無畏印 左、触地印の弥勒石仏 (右)2mの岩肌に座高60cmの阿弥陀像と像高50cmの観音・勢至立像 この交野山には麓と山頂付近に二つの岩倉開元寺跡が存在し、奈良時代以前より鎌倉、室町を経て信長の時代まで山林修行者の活動が続き、天正15(1575)年比叡山延暦寺の僧兵をかくまったため信長の河内平定の標的となり焼き落ちたと伝えられる。そのためが交野山全域に無名の作家たちの手になる石仏が数多く刻まれてきた。
阿弥陀立像 約90cm 阿弥陀三尊像 この交野山の探訪に先立ち、朝の始発の快速に飛び乗り、集合までの数時間僕の中でここ数年来の旅のかなめの位置を占める磐船神社へ詣でてきた。僕にとっては幾度となくここをめざしながら挫折してきた憧憬の地であった。ようやくの結願の日、朝まだきの神域は神々しいまでの静けさを湛え、僕は至福のときを心ゆくまで楽しんできた。
磐船神社のたたずまいと磐座に刻まれた如来像(左)。 女もすなるネールアート、男の僕もしてもらいました。フサクギタケと・・・(右)。 この日のきのこ探訪と京橋の「鳥せい」での吞み会の席ではじめて語り合ったスーパーきのこ時代の課題についてはまた後ほど。
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最終更新日
2013年07月15日 13時00分56秒
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