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カテゴリ:ムックきのこクラブ
JR曽根駅で待ち合わせて、新春第1弾のムックきのこの旅はスタートしました。 ここ数年、大和のまほろばの旅を続けてきて、「播磨風土記」の世界との接点が色濃くみえてきましたので、今年は我が国古代の認識を新たにするため「播磨風土記」の世界をほりさげてみることにいたしましょう。
JR曽根駅の側を流れて播磨灘にそそぐ、天川の岸辺にひっそりと、ゆく水の流れを見続けてきた黒岩13仏・磨崖石仏。
このジュゴンのようなのっぺりした竜山石の石棺の蓋。教育センターの庭にあり、石の宝殿とかかわりがあると言われる、その名も天磐船(あまのいわふね)。
地蔵山頂上の阿彌陀三尊像ほかの石像を後ろから眺める。下を走るのは、神明道路。
石の宝殿拝殿。この奥に、小さな濠に浮かぶ巨石がご神体。
切り出しを中途放棄した感のある生石神社の巨石のご神体。 生石(いくいし)と書いて(おおしこ)と読ませるところなど、大醜(おおしこ)を想起させ、この播磨国の偉大な神々は、天孫族と決して相いれない国津神系の神格を彷彿させます。 道中、大歳神社、そして道真が大宰府へ左遷される際に立ち寄ったといわれる曽根天満宮、秦河勝に由来する「高砂の松」、そして本年度の旅でしばしば顔をのぞかせる聖徳太子など、播磨は鬼の跋扈する国。本日訪れた高砂のこの竜山石の圏はその始源の風景です。
こうしたパワー全開の巨石のゴロゴロする高砂の宝殿界隈。こうした巨岩や花崗岩峰を畏怖する気持ちは、古代人やゲーテの感慨に通じ、僕の自然宗教観のもっともプリミティヴな部分を成すものですが、石は石。 石に意志を感じるのはいただけません。純粋素朴に感動するのみでOK。これが「考える葦」としての人のあるべき姿だと思います。
茫々たる風の山巓に立ち、竜山石で成り立つ高砂の大地をしっかり踏みしめる子供たち。 この大自然の中で、すがしい孤独をさらりと身に着けることこそが、21世紀の地球人であるべき姿です。
この巨石のご神体や、天磐船があったとされる鹿島神社の甘南備山・御位山(みくらいやま)を石の宝殿背後の山より望む。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年02月09日 20時02分22秒
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