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カテゴリ:きのこの文化誌・博物誌
表参道は国立文楽劇場の斜め裏の通りからズズズイと伸びており、梅桜の時期には大勢の人たちでにぎわう途中の高津公園には、梅の橋と名づけられた石橋があり、現在は涸れているが、江戸期には梅川が流れ、道頓堀川に注いでいたという。 大阪の町歩きの大先達のSさんが「大阪ミナミの街中に驚くべき異界の地があるのをご存知ですか」と言われて、その時は「ヘエーッ」と聞き流していたが、気になって訪ねてみた。 その神宮は菊のご紋を戴く社で、かっては大阪文化人たちの社交の場として賑わいをみせ、桂文枝はじめ数々の石碑も境内に残されている。 その場所は城郭にごとき神宮の本殿右の高倉稲荷の脇を抜けて谷へと下る奈落の底に秘めやかに残されていた。その場所には光塵にまみれた、まさに別次元の異界が現前していた。 あきらかに、谷町界隈の近在の磐座を集積して人為的に自然石を配置した不思議な奈落を成しており、縁結びを祈願して社を訪れる人の半数は知らぬまま立ち去ると思われる。 この地の本来の祭神は、新羅の姫神の比売古曽神(ひめこそしん)だが、さまざまな政治的な思惑が錯綜して、現在は摂社として本殿左脇にかろうじてその痕跡をとどめている。 大阪大空襲で神輿庫のみを残しても全部焼失したが、戦後氏子たちによって再建された。 現在の雑居状態の神々の系譜は、わが国の近代史をそのまま反映している。 陰陽石の奈落には谷末社として草野姫、大市姫、大山祇の三大神が祀られている。
本殿右脇の高倉稲荷社
この奈落の底に谷末社として三大神が祀られており、人為的な磐座がそこへ降り立つ者を圧倒する。
陰陽石の陰石
陰陽石の陽石 神宮の哀しい歴史は、ナツキの旅ねすガイドに詳説しているので、そちらをのぞいてほしいが、この大阪ミナミの千日前通を隔てて南北に分立する生国魂神社とこの淫祠すれすれのところでゲニウス・ロキ(土地の精霊)の痕跡をとどめている高津宮は、難波の歴史を知る上できわめて重要な意味を孕んでいる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年03月29日 13時47分04秒
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