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カテゴリ:きのこの文化誌・博物誌
太初より女性が太陽であったことは世界中どこを探してもありません。太陽と月の相互作用によってかろうじてバランスを保っているのがこの世界です。 近年ことさらに女性原理の復活をもてはやす声が方々で聞かれるようになりました。「21世紀は女性が活躍する時代」など。この意見には全く異論はありませんが、そのためにはマッチョと言われる男性原理をまず徹底解剖する必要あります。男女の性差はもちろんアホな男たちがそのアホさ加減をそれぞれが熟知することなしには女性原理が当たり前の世界は招来しがたいと思っています。 パワーゲームに終始する政治の世界では、それが口先だけのことであるのは国会の安保関連法案の質疑を見ていても如実に感じられるのは僕だけではないはずです。 しかし、この歯がゆさに対する反応こそ僕達がもっとも反省しなければならないところです。一応議論を尽くしましたよという既成事実づくりにのみ終始し、対話とは一切無縁の形式オンリーで押し通すわが国の議会政治のあり方に対して、頭にきていませんか?。僕だって頭にきます。しかし、この「頭にくる」ということが即、手を出してしまうことにつながるところが男性原理を代表する太陽と女性原理の月の結婚の際に最も大きな障壁になっていることは一目瞭然です。「押してもだめなら引いてみな」ではなく「押してもだめならぶっつぶせ」と思ってしまう僕や私。 しかし、政治の世界では理不尽な行為に対して理不尽な行為で立ち向かうことこそが唯一無二のもので、優柔不断は忌むべきこと、現実的ではないとされてきました。
2012年5月21日の太陽と月の結婚。これこそが、21世紀もっとも真剣に捉え実現すべきだと考えています。 マッチョという感情に支配される人達の多くが、奮起してリビドーを破壊に向けて発現しないことがもっとも求められます。 これまで世界史の上でも卑弥呼にはじまり、天照大神を皇祖神としたわが国の特異なシステムを批判的に跡付けなければなりません。「太初女性は太陽だった」と手放しに語るだけではなく、決して太陽とはなりえない月の原理をもった女性の女性たるゆえんの致命的な弱点と長所の双方をバランスよくいかせるシステムこそが大切なのです。 それにはメンタルの面で両性の違いを熟知しそれを活かせる人達が増えて行くことこそが大切だと思えます。そして政治の直線的志向に対し、文化という回り道・道草といった曲線あるいはノンリニアな志向でくるんで矛先をにぶらせる必要があります。 21世紀はそんなもっとも困難な道筋をごく当たり前のこととして辿りうるもののみが生き残るように思われます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年06月23日 10時53分33秒
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