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カテゴリ:きのこの文化誌・博物誌
丹後宮津の見性寺でみた月渓、のちの呉春描く蕪村像のレプリカ この夏5月より縁あって週に数日尼崎へ通う日々が続いている。尼崎の町は、町全体に癒しがたい疲労感のようなものが漂っていてさほど楽しい町ではありませんが、伏見を出た三十石船が昼夜2便通っていた淀川を仕事で毎日行ったり来たり、また猪名川が神崎川と合流し、海へ注ぐ河口部には蕪村が加島居士と愛をこめて呼んでいた上田秋成が住んでいた加島界隈を車で行き来したりと、江戸時代の第二のバブル期の京・難波文化の粋、とりわけ蕪村つながりの場所が随所に転がっているので、ワクワクします。 また、阪神の駅の大物(だいもつ)の由来となった大物主(おおものぬし)神社も日々その前を行き来していますので、我が国古代と江戸の興味のつきないところ。いつか仕事ぬきでゆっくりと訪ね歩きたいと思っています。 明日は、そんな蕪村と伏見界隈に隠居して米1斗で画を描き与えた晩年の米斗庵(若冲の隠居後の号)と蕪村の作品が一堂に会した「蕪村Meets 若冲展」に滋賀の山奥のみほ美術館まで行ってきます。なによりうれしいのは、大手術で一息入れたのもつかの間、以前にもまして猛烈に働きはじめた奥村彪生さんと画伯ともども馬鹿話に興じながら一日をのんびり骨休めできること。
深草の伏見稲荷にほどちかく若冲が晩年を過ごした石峰寺の若冲設計のらかん群像。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年08月01日 20時39分36秒
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