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カテゴリ:世界のきのこ切手物語
きのこ切手は、いにしえの大清帝国・西太后生誕60周年を記念して発行された通常切手にはじまります。 発行日は1894年11月19日。1分は紋章を中央に、その下部に霊芝。5分は鯉魚を中央に配しその上部に同様の霊芝をあしらっています。刷色はモノカラーで赤と黄の2種。 長寿のシンボルである霊芝が配されたことにより、郵便事業の黎明期にきのこ切手ははやばやと登場してきました。
これらの酸化したぼろぼろの切手は、オークションではいずれも単片で1万から4万円前後で落札されるのですが、それには理由があります。それはこの切手が黎明期の西欧列強がひしめく中国大陸の郵政史を研究するコレクターにとっては、この切手に捺された消印が非常に重要な意味をもつからです。 とりわけ写真上の鮮明な消印のものなどは狙われます。
何しろ、1840年、ローランド・ヒルさん(写真上左)が郵便事業を開始して、史上はじめて発行された切手がペニーブラック(写真上右)。 それから50年余りを経た1894年、東アジアでもうすでに郵便切手が発行されていたのですね。 上の写真は、ペニーブラック発行150周年を記念して発行されたブラジルの記念切手です。 僕達きのこファンにとっても、きのこ切手の歴史にとって、この切手は無視できない存在で、しかもコレクターがいつ放出するかわかりませんので、切手商にお願いして出た時に買い取ってもらう方法でしか入手できず、やがてぽろぽろと手許に集まってきました。今となっては貴重なお宝ですね。
1897年1月2日にも、壹分(半分・伍分)洋銀暫作と加刷された切手が発行されました。図柄は通常切手と同じものに変更額面を加刷したもの。
霊芝 マンネンタケ Ganoderma lucidum 夏から秋、広葉樹腐朽材上に発生する。半円から腎臓形の傘を持ち偏心生の柄を備える。傘の表面は出始めは黄白色、のちに淡褐色から赤褐色になりニス状の光沢をもっています。肉質部は下部は淡い褐色、上部の傘に近いところでは類白色。柄は円筒形で赤褐色から黒褐色。子実層托は管孔状。管孔は微細。 同様のもので、信州以北で普通に見られるツガノマンネンタケ(Ganoderma valeciacum)は針葉樹から発生するやや大型のもので、傘の部分に黄色が乏しい茶褐色のマンネンタケです。こちらのほうは柄がないこともままあります。 畿内のマンネンタケは、梅の古木から出るものを特に珍重します。 また、三つに枝分かれしたものの傘の上にそれぞれ三つに枝分かれしたものがつくマンネンタケはとりわけ瑞兆とされ、我が国でもこのマンネンタケを献上したものには三枝姓(さえぐさのかばね)を天皇から授与されたと文献に記されています。さえぐさは、さきくさ(幸草)に転じ、三輪山麓や率川神社(いさかわ)のサキクサ祭は今は山百合を手にして踊りますが、かってはマンネンタケや鈴(砂鉄のシンボル)が祭具であったのではないかと思われます。 写真は2011年6月長岡京でキヌガサタケ探訪の際に出会ったマンネンタケ。よく見かけるため、さほど注目していませんので、余り良い写真がなくてすみません。 三枝タイプのマンネンタケはなかなか見つけることができませんが、マンネンタケ自体はごく普通に見つけることができ、おが屑栽培も簡単にできますので、希少種でもなんでもありません。 抗癌物質を含むことから制癌剤として粉末にして服用する人もいますが、苦いので利くような気がするのでしょう。「良薬は口に苦し」と言いますから。しかし、いずれのきのこも多少なりとも抗癌物質を含んでおり、菌根菌研究・きのこ生態学者の小川真さんによれば、「マツタケなどはその含有量がダントツに高いので大いに食べましょう」と、かってマツタケフィーバーの時代には皮肉をこめて語っていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年08月05日 20時22分18秒
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