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カテゴリ:ムックきのこクラブ
これは、猿沢さんがかかわる船坂アート・ビエンナーレに数年前訪ねた折りに出会った峠あたりの風景ですが、きのこたちが警鐘を鳴らし始めた今年も表面的には変化はみられません。花すすきが今真っ盛り。 この秋は、見るもの聞くものすべて印象あざやかだ。久しぶりの秋色を全身でうけとめている。スーパーきのこ時代がいよいよ実感を帯びて肌に感じられる時が訪れたということだ。 きのこはここ数年、末期的様相を呈してきて、野山では全然ないか、異常なほどの発生ぶりの両極端。里山の状態を見るにつけ、笑えない状態になってすでに20年余りが経ったので当然といえば当然だ。 テレビのCMを眺めていると世は発酵・酵素で溢れる時代となって久しい。この発酵・酵素は微生物の産業利用で遺伝子組み換え、突然変異種、クローン細胞などのテクノロジーの伸展の結果だ。 健康意識の異常な高揚とともに、コエンザイムやステロイドなんて術語が一般的になったことを見ても、知らず知らずの間に庶民生活にも浸透しはじめた証拠であろう。 この狭い地球は、実は似て非なるものが現実となりつつあり、神さえご存知なかった生き物たちが、すでに世を覆いつつある事実をご存知ないのはあなただけという事態が進行しつつある。 そんな中で「目に見える微生物であるきのこの役割」とは何だろうと考えることからはじまったJ-FAS日本キノコ協会の理念実現は益々火急の課題となってきている。 微生物という目に見えない世界が戦後、石油化学工業の伸展とともに、世を席捲しはじめた現在では、僕達の目にみえる世界が絶海の孤島にひとしいまでに狭められてしまったこと。そして、きのこは自然という名の永遠に失われてしまった世界の代弁者として最終宣告に近い形でバランス回復を訴える地球最後の野性生物となってしまったこと。 発酵・酵素はスーパーきのこ時代の文化の中心となるべき世界だが、この世界は全世界を敵にまわすほどの究極の両刃の剣の世界だ。なぜならハイパー資本主義はこの二つを駆使する形で自らを完成させてきたからだ。 四季の変化を楽しみ、美酒をたしなみながら、きのこという無用の長物を食べるでもなく、その生き物たちの語りに耳傾け、ひたすら観賞するだけのつきあいを続けてきたことの意味がそこにこそある。 ムックきのこクラブは、すでに取り返しのつかない方向へ怒濤をなして砕けはじめた21世紀、非力な自分を熟知するちょっと背伸びの庶民として、楽天的な視点を失わずに生き物の基本を再確認し、目の前で加速しつづける余りに理不尽なことにあっさりとNOを言える人をひたすら遊ぶ中で育んできた。 「管理されざる地球最後の野性生物・きのこ」にまねぶことが、今ほど大切になってきた時代はない。遊べなくなってきた時代の中で命がけで遊びに徹すること。僕達の存在理由もいよいよ絞られてきた。 ここ数年来、わが国の自然宗教の聖地のきのこたちと語ることに時間を費やしてきたが、次年度は、ますますのんびりとスピードダウンし、その分、着実にスーパーきのこ時代へ肉薄する企画の準備を始めている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年10月04日 20時25分20秒
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