|
カテゴリ:ムックきのこクラブ
路傍の八百万の神が出雲へ出向かれるという神無月も6日が過ぎた。 この季節は新酒をはじめ味噌や麹づくりも始まることから醸成月(かもなしづき)ともいうと教わった。こちらの方が僕にとっては親しみを覚える。 「神なんてあってたまるか」というのが僕の本音だ。もちろんあってもなくても無関係ということにしか過ぎない。あったほうが気持ちは落ち着く。 さて、ムックきのこクラブも醸しかもされ、次月の有馬三山の納め会を最後に、いよいよ新たな世界へ。
近江寺山門の阿吽の仁王像 性海寺への道すがら、葉裏でおのがいのちと向き合う純白の装束に身を包んだツバメエダシャクと出会った。 余りの一途な面持ちだったので写真撮影は控えたが、世の中がどんなに殺伐としてきても、僕の友人たちは野山で人知れず展開する生々流転のドラマを見守る目は失ってはならない。ムックきのこクラブは、そんな少数の人達の集まりなのだ。
私たちも来春よりはあらたなステージに見合うテーマをもって動きはじめるが、基本は不動不変。かそけきいのちの消長をじっと凝視する集いであることに変わりはない。 道中出会った近江寺山門の像ではないが、あらゆる悲惨も一部のこらず見届け、けっして盲目(めし)いてはならないし、見て見ぬふりもしてはならない。そしてひたすら祈るのだ。 凝視し続けること、そして祈り伝えること。この一事のみが非力な庶民の僕達にできることなのだから。そして、ときには、庶民の智慧でもある発酵食品の数々の恩恵にも浴しながら生きてきてよかったと一息つき、いのちのかぎり生き抜こうではないか。
野葡萄の酒は聞いたことがない。糖分が少ないのでむずかしいのかも。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年11月17日 18時16分32秒
コメント(0) | コメントを書く
[ムックきのこクラブ] カテゴリの最新記事
|