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カテゴリ:きのこの文化誌・博物誌
蝋梅も狼狽するほどの寒さが居座ると人跡稀な端山が恋しくなってきます。 山頂で点てるコーヒーの味がなつかしく、行った先々の山頂の凍った岩肌の感触がよみがえってきます。
秦氏の痕跡を辿って、大和の桜井からはじまった、味間(あじま、あるいはみま)地名を探る旅の終着点で登った丹南町の松尾山(洛西の松尾大社とのかかわりを彷彿させますね)から白髪岳(白鬚とともに新羅と深くかかわる地名で大和から近江には多々残っています)への山旅は、そんな中でもとりわけ印象深いものがありました。 松尾山、白髪岳のそれぞれ山頂部は磐座をなしていて、そこから見下ろす谷間に味間集落が広がっていました。現在は茶の産地で有名です。
下山して味間集落をたずね、篠山市内に足を伸ばし、ペルーの珈琲「チャンチェマイオ」だったかを初めて飲んだのも楽しい出会いでした。 秦氏を追う旅は、まだまだ続きます。膨大な殖産渡来民集団で、我が国の古代文明創造の大半に関わり、しかも地表下の活動に終始したまさにきのことしかいうほかない古代最大の氏族集団。 この民のことは、良弁、空海、法然といった、私が日本史の中のきのこ文化人と睨み追跡してきた人物の背後に必ずといってよいほど存在感をただよわせており、彼らとのかかわりで少しでも明らかにしていきたいと思っています。
ふもとの文保寺山門付近でであった冬のクヌギタケ。彼らのみが知っている民草の消息。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年01月19日 21時39分38秒
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