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カテゴリ:きのこの文化誌・博物誌
月おぼろなるは春のことぶれ。これは、雪や雨をもたらす大寒気団到来の前触れなのだろうか。私にはそうは思えない。春の証し。 しかるに近年気象予報官は、マスコミを挙げて危機意識をあおりすぎる。安全第一は言わずもがなであるが、「今年最大の寒気団到来。不用意に外出するのは控えましょう」なんて聞けば、大概の人は「そうなんだ。こんなとき外出して怪我でもしたら笑いもの」と納得してしまう。 しかし、14番目の月の今宵のおぼろは、それがいかに愚かなことであるかを物語っている。 自然というものから現代人がいかに遠ざかってしまっているかということ。 いや、自身の生身の感覚をいかに信じられなくなっているかということ。このことの方がむしろ問題だ。
蕪村には私の知るだけでも15ほどおぼろ月の句がある。 おぼろ月大河をのぼる御舟かな 草臥れて物買ふ宿やおぼろ月 女俱して内裏拝まんおぼろ月 手枕に身を愛す也おぼろ月 さしぬきを足でぬぐ夜や朧月 よき人を宿す小家やおぼろ月 朧月蛙に濁る水や空 壬生寺の猿うらみ啼けおぼろ月 恨み有る門も過ぎけりおぼろ月 瀟湘(せいしょう)の雁のなみだやおぼろ月 奇楠(きゃら)臭き人の仮寐や朧月 梨の園に人彳(たたず)めりおぼろ月 石山や志賀登らるるおぼろ月 薬盗む女やは有るおぼろ月 月おぼろ高野の坊の夜食時 これに朧夜、朧を加えると18句。 辛崎の朧いくつぞ与謝の海 うす衣に君が朧や峨眉の月 朧夜や人彳めるなしの園 おぼろとは、本来こうした気配に満ちたもの。そんなおぼろ夜が示す気配をこそ信じたいものである。 不安、不安、不安。寝ても覚めても不安、不安ばかり。これこそが人の人たるゆえんのものだが、その不安をあおるビジネスのみがさかえる現代も考えものだ。 情報過多、危機管理意識過剰の時代、おぼろ月をこうしてひたすら楽しむことができなければどんどん荒んでいくぱかりの日々となる。 こうしたマスコミの言説に振り回されなくするためには、ヒトは常に当事者であることを心がけるべきだ。「負う子に教えられ浅瀬をわたる」とは、当事者、あるいは当為者同士の言葉であるかにこその重みがあるということだ。 マスコミは傍観者としての参考意見しかもたない。 事件が起こると我が国ではまず解説者がどっと出てきて事件とはそっちのけの自己主張をして問題そのものをかき消してしまう。 明日、仕事のある人は休まずともよろしい。当事者である本能と責任において行動すればなんの問題もない。大人たちよ、甘えてはいけない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年01月23日 23時59分56秒
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