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カテゴリ:きのこの文化誌・博物誌
そのきのこさんよりポストカードが贈られてきた。今ではきのこ作家もめずらしくはなくなったが、そんな中でもひときわ遊び心がある作家で、きになるきのこの1人だが、不思議なことにいまだに面識はない。 下賀茂社あたりのフェアーで出店されていたのを仲間が知らせてくれたことでグッズをいただいて以来の玉章(たまづさ)の便りのみのおつきあいである。
きのこにたいするまなざしに独自のきらめきがあり、注目している。
きのこをつくる菌類という本来目には見えない世界の住人が、時に応じて目にみえるきのこという形で私たちの前に現われる。僕たち人間はきのことはそんな刹那のおつきあいを続けてきたのだが、そのきのこ(=イタリア語風に私のきのこか?)さんは彼らが見えない世界の住人であるという把握を手放すことなくアート活動を続けておられる。なんの変哲もないグッズにすぎないレギー・ファンジャイもこれだけ遊べればもう言うことなしである。
『月のしずく』は、私たちの肉眼でとらえ得ない膨大な目には見えない世界で何が起こりつつあるかをキノコ目になって見届けていき、生き物の直感で行き過ぎや異変をやんわりといさめ回避していくきのこ流のラブピース運動である。 それは月の光のひとしずくにしか過ぎないものではあっても、曇りのないまなざしに徹するため、あらゆる権威から自由である無名に徹する。というととても潔い意志的な決意に聞こえるかもしれないが、そうではなく自身の中途半端さの自覚、すなわち、人間としての商品価値に乏しいことの自覚なのだ。 自分の中身は何にもないことの自覚は、専修念仏を唱えた法然や妙法蓮華経への絶対帰依を唱えた日蓮がいるが、「月のしずく」は太陽の落とし子・日蓮ではなく、受動的な魂の救済を打ち出した(すなわち間接光としての月的な)法然に近い。21世紀とは、欲望の命ずるままに進んできた有史以来の人類史をあらゆる機会をとらえて転換を迫る価値転換の世紀なのだ。 『月のしずく』は微生物・きのこと言ったちょっと風変わりな生物好きのアマチュアにしか成しえない自由な発想によるパラダイム転換を、決して悲観的にならずに続けていくためのささやかな指針となろう。単細胞の微細な胞子たち(それを僕は比喩的に不揃いのきのこたちと呼んできた)が手と手をとりあい膨大な菌塊をつくるように日々菌糸を広げ、宮沢賢治のように、「冷たい夏にはおろおろ歩き」、あらそう人たちには「つまらないからやめろ」とごく自然にいえる市民を作っていく一助になればと思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年05月31日 23時50分25秒
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