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大津浜に近くたたずむ義仲寺 木曽義仲の墓 義仲寺では木曽義仲の墓の隣に芭蕉の墓があり、その傍らには巴御前の小さな碑が置かれてありました。義仲の武芸の指南であり、女房でもあった女武者の巴御前は、近江で討ち死にせずに義仲との間の落胤救出に向かい鎌倉へ下り、捕われの身となり、嫡子は命を救うことができず、ここで自害するつもりでいましたが、頼朝の軍奉行であった和田義盛が命乞いをして彼の妻となります。やがて北条氏の策にはまり挙兵して和田一族は敗死してしまいます。このとき巴も討ち死にしたと思っていましたが、またもや和田氏の三郎とともに安房へと逃れ、90歳くらいまで生きながらえたと言われています。この安房に逃れた三郎が義秀を名乗り、西国へ逃れる途中で太地町に漂着。太地の鯨組の祖となったという伝承があります。なぜか支離滅裂な私の探訪は思いがけないところでつながってくるのを覚えて不思議な感覚にとらわれてしまいます。 巴塚 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年09月19日 21時33分53秒
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