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カテゴリ:ムックきのこクラブ
JR奈良線・玉水駅の少し南を東西に貫く小流れの玉川の清流を行くと井堤寺跡に出る、そこでまずは再会を祝して乾杯。それからおもむろに駒岩まで足を延ばす。 昭和28年の水害の際に対岸の崖から転がり落ちた駒岩は地面に接する部分に彫られており、いろいろ苦労して撮影を試みたが、いささか疲れたせいか、誰ともなく「昼にしよう」ということになった。ここで彪生さんのぶりにぎりがふるまわれた。写真を撮る前に寄ってたかって平らげられたのでコピーすら残念ながら残されていないのは今の国会の書類疑惑みたいだ。別に真似たわけではない。 ここで骨を伸ばしたので、いよいよ今日のプランを実現すべき時が来てしまった。玉川を駅方向に戻り、玉津岡神社に登る。上井出町は全体に高台にあるが、この玉津岡神社と隣接する地蔵院は恭仁京方面が一望できる素晴らしいロケイションにある。 末社には橘諸兄のお父さん。お母さんの犬養三千代さんを単身赴任中に藤原不比等にとられた美努王が祭られている。諸兄の心中はいかなる思いがあったかが少し理解できたように思えた。 手水のカワズの目玉が、眼病に効くというので目玉だけがビンズル様状態になっていた。 地蔵院では本堂前に橘観音が待っていた。 地蔵院からの眺望は最高だ。まだ花のない枝垂れ桜は近隣では有名らしくまもなく見頃を迎えるので人であふれることだろう。 井手町の下水管の文様。 この玉津岡神社の小山の中腹にある地蔵院からの眺めを楽しんだ。 聖武天皇即位後のはじめての行幸地が和歌の浦だったこと。おそらくその時、玉津島あたりの風景が記憶に残っていて、この地に神社を勧請した際に、和歌の浦の光景に感動した天皇だから、この地もおよろこびになるだろうと思ったのではないだろうか。やがて、このパノラマの先に恭仁京が開かれることになる。 地蔵院直下の民家ではすでに枝垂れ桜が咲き誇っていた。 椿坂まで来ると土筆っ子もちらほら。しかし、みんなで探すとどっさりこんと出ていた。 小野小町の生没地は数多く伝えられているが、最も有力視されているのがここらしい。地蔵院参道脇にあった。 しかし、この石積みは大阪城築城の際の余りの城石を積んだようで後世のものではないかと炯眼のSさんが見抜いていた。おそらく当たっているだろうと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年03月13日 21時04分57秒
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