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カテゴリ:ムックきのこクラブ
きのこの子実体を対象とする学問は体系化しえない科学としては不完全なものですが、私たちが毎月せっせと野山に出てきのこを中心に自然に触れ合うのは、身近な自然の状態の変化に敏感な心を保ち続けるためです。それは何よりも私たちもかっては自然の一部だったのですから、当然のことです。 それはきのこの名前を知り、きのこの分類学に奉仕するという態度ではなく、自然と親しむことがすべてです。もちろん名前を知るのは親しくなる近道ですから否定はしませんが・・・。 でも、なによりも私たちのお隣りに住んでいながら、私たちの意識の外にある「隣のトトロ」のような他者と親しむことが大切です。 私の関心はきのこに人一倍強いのですが、それでも垣根のバラを愛で、時折おとずれてくる森の使者のモスラくんたちと言葉を交わすことも、かたつむりくんたちの不思議な生き方を驚きをもって見つめたり、鳥や獣たちも一生けん命生きていることにエールを送ったりしています。 また、蛇やゲジゲジくんやムカデちゃんなど異形であるためにむやみに恐れられて遠ざけてきた虫たちを見つめることももちろん含まれるべきです。親しく付き合えば私たちと違うからだをもっていることの意味も自然とわかってきます。 そうすれば、私たちの身近な周囲を見渡すだけでも実に様々な生き物が生活しており、この世界が多様性に満ちていることを実感することができます。これが生き物を愛する人の基本中の基本です。 そうすることではじめて、きのこは他の生物と同じように思ってきたけれど、どこか違うなぁという感想が得られます。きのこを愛するというのは、実はここから始まるのです。 その思いをしっかりと持ち続けると、あらゆるものの背後にきのこを通して見え隠れしてきた何かが見えてきます。 こうした素晴らしい芸術作品も、きのこをそのままなぞったイラストも、そして野仏にも、自分たちとは違った生き方を貫く生き物を親しむ心で見ると、それらの根源には固定的なものの見方からは得られないいのちの表現というものについには行き当たります。 きのこの彼方というものの基本は、糸状体生物の目に見えない菌糸やビールやお酒、しょうゆ、味噌などの発酵食品を作る麹菌や酵母から微生物世界の存在に気づくことです。 それは無限の可能性を秘めた世界で、有史以来人類は経験的には熟知して利用共存してきましたが、この世界を具体的にとらえ私たちに目に見える形ではっきりと示してくれたのは科学の力です。 しかし、近代もずっと後になってくると、本来、倫理とか哲学とかを併せ持っていた科学思想から技術が独り歩きしはじめます。そしてやがて加速するばかりの技術のオートマティズムに言葉がついていけなくなってしまいました。これこそが、今、この地球上で進行している目には見えない世界の実態です。 私が技術の代名詞となってしまった科学を、私たちの文学の言葉、アートの力(これも科学と同じく別の言語体系をもっていますが、人間の言葉と感情に裏打ちされているところが科学とはいささか異なります)で、行き過ぎを是正し、歯止めの役割を持たなければならないと考えてきました。 それは、政治(パワー)や経済(マネー)による力関係の是正だけでは、シーソーゲームに終始し、結局は解決できないと考えているからです。 私が哲学者や芸術家、宗教家たち、そして普通の人達が無視してきた取るに足らないような生き物を愛するひとたちによる非制度主義による新しい倫理観に基づくゆるやかな連帯を協会(ソサエティー)という形で創り上げなければならないと思うのはそうした理由からです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年03月18日 01時40分44秒
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