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カテゴリ:ムックきのこクラブ
ムックきのこの旅では、毎年1度は巡り合わせる苦行に近い山旅。
今年のそれは、9月9日の{苦}つらなりの日曜日、台風禍の著しい余呉駅から登る菅山寺の旅がそれに相当することになりました。 猿澤さんからいただいて生まれてはじめて使用する青春18切符でわくわくしていたこともあり、向かうところ敵なしで国道脇の参道からルンルン気分で頂上を目指します。 この参道の奥にみえるのが高速道路で、その下をくぐるまでが里の風景。その最後のしるべが、な、なんと、古墳であった。 雨宿りするにはいささか狭すぎるので素通りすることに。 お参りする人影も絶え原野に回帰しつつある登り一方の参道は延々と続き、風倒木が時折道をふさいでいます。いつも独特のスタイルで参加の、どデンチスト・橘くんが倒木を踏み越えます。ときおり転んでステンカラージン状態に。 ときに烈しく、時に小やみの雨を突いてひたすら登っていきます。 おびただしいきのこたちとの出会いに加えて、安逸のひとときを妨げられて精一杯威嚇するシマヘビくんやおびただしいヤスデくん、そしてちらほらモスラくんたちも顔をのぞかせる。それぞれいとしさいっぱいの生き物たちですが、あえて紹介いたしません。 菅山寺山門の脇侍(わきじ)をつとめてきた樹齢うん百年の大けやきの一本が、暴風雨で倒壊(写真右)。今回この無惨にもずっこけたけやきの大樹を検分することが主目的の旅。さすがに圧巻でした。 その風倒木にはすでにヒラタケがとりついてせっせとお弔いに等しい分解作業を始めていました。 荒れ果てた本堂。かっては広大な境内を誇り、寺名は菅原道真公が幼少の頃ここで育てられたことに由来するという。この荒涼たる光景となり果てた山上伽藍の中でそれぞれ点となってゆくのを感じながら、本堂で雨宿りを兼ねた昼飯をくらう。 持参したアイリッシュ・ウィスキーの「キルベガン」を分け合い、ゲバラのタバコを回し飲みし、この廃墟の魅力に去りがたいものを感じ、一同しばし言葉を失ない沈黙がつづきます。 栄華のあとはこの人工の池塘にのみ面影をとどめていました。かっては蛙や虫の音に包まれながら湖北の月影をしばしとどめる水辺に立ち、少年・道真も涙したことであろう。 沢音と思しき水の音が、尾根筋からそれて菅山寺へ降りてくる間ずっと響いていたのだが、それはこの池塘からあふれた雨水が流出して沢をなしているからだとようやく判明。 さて、菅山寺を辞して尾根筋へ戻ってからが大変。荒れ放題の山中をあてどもなくさまよい歩くことに。今回は美女たちが不参加でむくつけき漢(やから)ばかりの顔ぶれだったことを幸いに、もと来た道を下山せず、木之本まで山中を縦走する初案を遂行することに決定。 お蔭をもちまして、ずいぶんとアルバイトを強いられる羽目になりましたが、それだけに楽しみも倍増して、アドレナリン出っばなし状態に。 さんざん手こずって道なきみちを強行突破して、やぶ蚊に襲われながらほうほうの体で高速路わきの小道に降り立つとしばし雨は小やみに。 しかし、北国街道をあるきはじめると、またまた土砂降りの雨に。 雨の合間を縫って木之本地蔵にお参りし、下山地点から小1時間かけて造り酒屋にたどり着き桑酒や純米吟醸や冷やおろしをそれぞれ買い求め、またまた降り出した雨を避けて今春開店したという小料理店で、総着替えのお色直しがてら夕食と乾杯を。そして益々勢いづく土砂降りの雨の中、転がって尻餅ついたり、こむらがえりの足をいたわったりの一行は、とにかく無事戻れたことに感謝しながら木之本駅まで歩いて帰ったことです。 この日出会ったコアなきのこたちの話は次回から。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年10月10日 14時45分09秒
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