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カテゴリ:ムックきのこクラブ
朝5時に飛び起きて、延々3時間ほどかけて訪れた草津駅。そこには総勢6名が集っていました。そこから貴生川線でさらに30分、ようやく甲賀駅に降り立ちました。私は、良弁からみでこの沿線の石部駅や甲西駅を基点にここ数年ずいぶん多くの寺社や村堂を巡っていましたが、やはり遠くへ来たという感じはぬぐえません。まずは大鳥神社へと向かい始めると、村の路地のむこうに山の神の石碑が。
茫々たる曠野をあるくこと30分。大鳥神社へ。 この地へ来るといつも驚かされますが、さりげないたたずまいの寺社ばかりなのに近づいてみるとそれぞれ威光を放つ素晴らしいものばかりで頭の中は、はてなマークで満たされます。奈良平安時代、この地は杣として都の大伽藍や街づくりの材木供給地として栄えたことがしのばれます。 甲賀といえば忍者の里。マンホールのふたには忍者とさつきの花が。 街道添いの抱き茗荷の寺紋の寺にも以下の立派な阿弥陀像が鎮座まします。 この近辺には珍しく菓子舗があり、画伯が女性陣のために栗大福と羊羹をふるまってくれました。ぼくらは中性ということでお相伴にあずかりましたが、なかなかおいしい和菓子でした。そこから国道を離れて小川沿いの路へと進路を変えます。 やがて、櫟野寺(らくやじ)の寺堂の屋根が望まれる地点まで来ました。 櫟野寺の集落入口あたりにあったヒメユズリハにたわわに実が成っていたので、死ぬほどの毒があるとは思えないのとおいしそうだったのでどんな味がするか試食してみました。 ネズミモチの実と同じ感触ながら、えぐみがいっぱいでとてもおいしいとはいえませんでした。 櫟野寺まで来るとやはり御開帳最終日で善男善女が大勢集っていました。修験僧もちらほら、聖護院派の山伏でしょうか、本日は期間中の納めの札をくべるための護摩壇が築かれていました。 秘仏はこの日、参詣者への結縁の印に五色の糸が像と宝珠に渡されており祈祷のあと、その宝珠に触れることができるよう演出されていました。ひと刻みするたびに合掌して彫り上げたという丈六(約4.8m)の巨像は数年前、同じく33年に1度の秘仏御開帳の折に見た荒々しい表情の島ヶ原の十一面観音像より、ずいぶんと洗練が加えられており、圧巻でした。 さてここで美冨久酒造の初しぼりをはじめ濁り酒や甘酒を試飲させてもらい、十分に燃料補給ののち、深々と冷えが深まる甲賀の地を更に油日方面へ。櫟野寺から油日大社の途中にみとめた油日岳は壮観でした。 この地の油日神社は、境内をぐるりと檜皮葺きの回廊を巡らせる見事な神社で、神仏習合時代の名残りの梵鐘を備えており、先ほどの櫟野寺といいここといい、撞き放題。煩悩具足で梵鐘好きの私は、久しぶりに溜飲を下げることができました。法被こそ着てはいませんでしたが、本当にハッピ・ハッピ・ベリハッピーでした。 名ガイド役を自任しているHさんが予約を入れてくれていた当地の民俗を集めた資料館で若い権禰宜さんに白洲正子の『かくれ里』の話を聞いたり、古文書を見たり、水争いのことを教わったりしたあと、ヒノキの落葉が積りにつもってふわふわになった林床できのこ探しの時間に。 そして、「長らくきのこ稼業を続けてきましたが、今年は大変でした」とつぶやく呆けたヒラタケやホコリタケに出会いました。 冬ざれの景色の中でひときわみずみずしい冬イチゴちゃんも。 本殿から回廊を振り返ると、近在の護摩油と造酒屋関係の業者の奉納した油とこもかぶり酒が並んでいました。 ここからJR油日駅までの束の間日当たる土手で見つけた狂い咲きのリンドウとスミレの花。 かくして今年のムックきのこクラブも無事終了。いよいよ次年度に向けて準備あるのみとなってしまいました。戦いすんで日がくれると同時に雨がハラハラとふりはじめ、不埒で不浄きわまりない僕たちの罪を流してくれたかのようでした。めでたしめでたし。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年12月11日 13時29分39秒
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