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夢みるきのこ

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2020年12月08日
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 私は、地より湧き出でる大地の力として地蔵さんにきのこの生命力を託してきたが、ムックきのこクラブ2012.3.18の旅・春浅い雨の壺阪の高取山ではそんなきのこ地蔵を満喫できた。
 壷阪寺より登っていくと、異様なオーラを発する岩々が行方に立ち現れる。以下のような立て札のついた石仏などほんのわずかで、山全体の岩という岩にはおびただしい数の仏、羅漢、天女、如来などが刻まれているのだ。


 まさに三十三間堂の千体仏の野外版。各所の仏たちの様式が異なることから数百年にわたって名もない山伏や修行僧らによって刻まれ続けてきたものと思われる。

 まさに、法華経でいうところの「従地湧菩薩」(じゅうちゆうぼさつ)たちのオンパレード。





 そして、この道の終着点にあたる高取山(538.9m)頂上には、日本三大山城の一つ、高取城址がある。
 ここは南北朝以来、山城として越智・本多・植村氏の居城として守られてきた。ここが山上の城となったのは郡山城主となった豊臣秀長の命をうけ、本多氏が本格的城郭として整備。明治政府による版籍奉還で廃城になる明治6年(1873)まで城主がいたという。

 この日は霧深くますます幽玄の相を帯びた城址であった。

 私はこれより以前の盛夏に、何の知識も持たずにひたすら夏のきのこを求めて壷阪寺の喧騒を避け植村家老屋敷跡の反対ルートをとってのぼったので、猿石以外には石仏らしきものとも出会わずに山巓に至った。だがらなおのこと、突如あらわれた本格的城郭には正直、仰天した。まさに東洋のマチュピチュと思ったのだ。その時以来、いつかここで、ぜひムックきのこクラブのお茶会をしたいと思ったものだ。
これは近々実現したいと思っている。

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最終更新日  2020年12月08日 10時06分06秒
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