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2020年12月10日
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             神社の杜            纏向遺跡のひもろぎ
 わが国の縄文・弥生人は、極度にけがれ、とりわけ死穢(しえ)を嫌ったというのは本当だろうか。
 谷川健一はそれに対して明快にNo!と応えている。彼は、日本各地の聖地を巡って、森とはそもそも鬱蒼とした神社の杜のイメージから遠く、木が数本生えているところをもりと呼んだといっている。  
 ひもろぎがその典型的な例だ。要は神が降臨するための依代(よりしろ)をモリと呼んだというのだ。
 古神道が死に伴う腐臭を極度に嫌い、
死穢を遠ざけたというのは後の付会で、いにしえびとは、身内が死んだら土に還し、盛り土をし、そこを聖所として今日の樹木葬に通じるような大きく育つ樹木を植えたことに始まるという。その盛り土した場所からモリという言葉ができあがったというのだ。そうした祖霊の集合体がいつしか森と呼ばれ山全体を祖霊の帰るところ、そこからまた年に一度里へ降りてくるとして神体山が出来上がったものと私も思う。神社の原型をなす三輪神社、笠縫の邑の檜原神社には神殿がなく三輪山そのものが神体とされるのがそれを暗示している。祖霊をおまつりした後はそのためにしつらえた宮(庭から転じたもの。沖縄では今でも庭のことをミャーと呼ぶ)を取り壊した。そこからその宮を社(やしろ=屋代)と呼ぶようになったという。
 庭や森という言葉も私たちの記憶の底から一度掘り起こしてくる必要がありそうだ。





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最終更新日  2020年12月10日 08時50分47秒
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