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2020年12月15日
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 近鉄生駒信貴山鉄道は全国でも珍しい踏切のある軌道を走るケーブルカーと画伯が言うので、それはぜひ乗らねばとちんたらちんたら宝山寺駅まで乗りました。なるほど、途中車が通る踏切や人だけが軌道の鋼鉄製の牽引ロープを跨いでそっと抜ける踏切があり面白いものでした。

 いつもは通過するだけの宝山寺。今回はみっちり密着取材の旅。ここはインドの象神様、抱き合うガネーシャの歓喜天、つまり聖天さまで有名ですが、本来弥勒浄土兜率天信仰に支えられた山です。
本殿を抱くようにそびえる岩屋には役行者が梵字の般若経を納めて修行した般若窟があり、そこには金銅の弥勒菩薩坐像が安置されています。聖天さまの本地仏は
十一面観音ですから、ガネーシャは後付け。此の地が奈良時代から続く霊山であることがしのばれます。中興の祖である江戸中期の淡海律師は、本尊を不動明王と定め庶民救済を本願とする寺院再興を目指しました。なかなかの炯眼の持ち主で、遣り手じじぃだったようです。おかげで生駒山の地主神・往馬大社をしのぐ勢いで今日も大阪の底力を支えています。

宝山寺の寺紋は笹りんどう。そもそも源氏の源頼朝の家紋が笹りんどうで鎌倉市の市章になっていますので、源氏の武家とのつながりもそこはかとなく匂ってきます。

 でも、大阪市民には、この商売繁盛のきんちゃく袋のほうが馴染みがありましょう。

これが奥の院にある中興の祖淡海律師の開山廟。

 その廟脇には淡海律師の尊像のレプリカが置かれています。

 こちらが同じく奥の院に設置された般若窟の弥勒菩薩のレプリカ。マイトレ―ヤーちゃんです。なかなか端正な顔立ちでちょっと胸キュンとなります。そのマイトレーヤーちゃんの前には線刻の仏足石が。


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 私は奥の院までの地蔵坂のお地蔵さんに見惚れてあっちふらふら、こっちふらふらしていましたら、同行のSさんが蘇鉄の植え込みのそばに山本古瓢さんの句碑を発見。「これってあなたの先生では?」と声をかけてもらって初めて気づきました。…鳥雲に享くるのみなる手を浄む… 古瓢
てっきりわすれていましたが、古瓢先生は聖天さんの熱心な信者だったらしく、その縁でここに。ついで堺の大仙陵に、そして龍野の嘴﨑にも句碑が建てられています。そんなバブル期の句碑建立ラッシュの半世紀以上も前のことすっかりさっぱり忘れていました。
大学を出て間もない頃、私はこの句碑の除幕式に立ち会ったことを思い出しました。わが生涯唯一の師と定めた古瓢さん。なんとも薄情な弟子であること丸わかり。そういえば宝山寺の信者会館で句会が開かれ「蟻ひとつふたつみつよつ墓域なり」という拙句が物議をかもしたことが思い出されました。当時は奥の院まで句碑以外に何もなく墓地になっていたように思えます。





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最終更新日  2020年12月15日 15時42分52秒
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