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2021年10月15日
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 城を出て伊賀鉄道の踏切を渡ると整然と条里が敷かれた城下町に入る。日曜とはいえ、アジア系の人が時折すれ違うほかは人っ子ひとりいない町並みでこれがまたなんとも気に入った。
    
 店の中に入っても顔をのぞかせる店の人もないのは、僕のような素性の良くない人間にとっては持ち前の出来心が頭をもたげてきそうでちと気がかりだったが。
    
 家人のいる店先も品物を並べて誰もいない商売っ気のない店先も飾りつけだけはしっかりとしてくれているのがうれしい。
  
 この写真右の古時計の店で伊賀の人がもっとも愛飲しているというほうじ茶を買い求めた。

 こんな猫の子一匹いない昼下がりの町を闊歩するのは海辺の集落をたずねたみたいでたのしいかぎりだ。

  芭蕉の蓑虫庵 ​俳人とは私も含めて廃人に近い人たちの通称ですが、この俳人という人種は、何でもかんでも鳴かしてしまうので困ります。亀を鳴かせ、石を泣かせ、時には女も泣かせたとか。こちらは一生に一度くらいは泣かせてみたかったものですが…。
 芭蕉も例にもれずこちらの庵開きの祝いとして貞享5年(1688)3月「みの虫の音(ね)を聞きにこよ草の庵」と蓑虫がいかにも鳴いていたかのような句を贈っています。しかし、ここに行けば蓑虫の鳴き声がきけるかもと期待する人も居たとすればしたたかですよね。やはり廃聖といわれるだけある。

 なかなか立派な屋敷だが、本人が草の庵と言っているくらいだから、これは近年のものだろう。

 城下町のどんづまりには秦氏や白山の泰澄ゆかりの愛宕神社がある。

 藤堂高虎の造立と言われる17世紀頃の重文の本殿。

 この扁額の右の2文字がわからず、数日後伊賀上野観光課に問い合わせたところ、古老の伝え聞きと前置きして、​​​​​​​​これは近くの国史跡記念館に指定されている崇廣堂の主人の揮毫によるもので「永賜祚胤」(えいしそいん)と大書されているという。末ながく子孫に幸福を賜るという意味だ。





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最終更新日  2021年10月15日 12時47分17秒
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