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夢みるきのこ

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2021年12月24日
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​​ ​​​​​新しいパソコンがまだ2年目なのにパンクしたため、冬至の前後はデータ復旧に全神経をすり減らして放心状態でしたが、ようやくパソコン主治医の助けを借りて復旧。絶望的だった「月のしずく」37号の年内配布も可能ではないかと思えるまでになってきました。天罰に等しいこの事故に消沈の極にあった自分を鼓舞するため、37号をもう4ページ増やそうかと画策しはじめましたが、また壊れると元も子もなくなりますので、とりあえず、いつも通りの配信をと思い直しました。本日いっぱいであやおちゃんの最終校正が終わりますので、印刷に出してしまいます。冬至を過ぎて一陽来復を今年ほどありがたく受け止めた年もありません。  

 さて来春からは新しいプロジェクトが始まりますので、わずか5年で廃都となった近江京の在りし日をしのぶ2021年最後のムックきのこの旅をここにとどめておきましょう。
 湖西の無人改札の京阪・滋賀里駅で降り立ち、志賀山越えの道へと辿りはじめると八幡神社がある。
 三井寺の圏内のこの地には、源氏の武将らの崇拝する八幡神社が数多くある。ここで女性の禰宜さんとしばし話を交わし、いよいよ山道へ。


​ 峠路のとっつきには百穴古墳群がある。お尻のような穴ぼこが百余り口を開けていると思わせるけっさくな名前に噴き出してしまったが、山の斜面のそこここにあんぐり口を開けている墳墓が方々に見受けられ壮観であった。​

 なかには石室が露出しているものも多々あり、楽しいことこの上なし。

 天智天皇の創建と伝えられる
崇福寺(志賀山寺)址は、渓をまたいで金堂・講堂・塔などが点在する。礎石以外何も残っていないが、それが私にはとても感極まるものがあって、ここで一日居たいなと思ったくらいである。

​​
 その渓奥には金仙(金泉)の滝があり、この滝道で可憐なオレンジのきのこに遭遇したことは前回紹介した。
     滝またぐ廃寺の小径冬きのこ  マダラーノフ
   
 滝のわきにみとめた岩窟を探り、それから谷筋を上り下りして崇福寺址の広場に出た。冬至前というのに紅葉が樹上を飾り美しいことこの上ない。​​​​

​​     湖風に紅葉明かりの廃都往く マダラーノフ ​​
 崇福寺址の広場のど真ん中で誰に気遣うこともなく昼にした。

 同行のHさんは、学究肌の人にもかかわらず、いつも昼時にはサプライズをもたらしてくれる。今日はリュックの中から<大阪のおじさん>よろしくみかんやサイフォンコーヒーの茶道具が出てきて、私はコーヒー豆を挽く係を仰せつかつた。

 カリフォルニアワインのカベルネ・ソーヴィ二オンと小生持参のDewar's Whiskey
も加わり豪華な昼食となった。
    宴めく廃寺の昼餉日の紅葉   マダラーノフ


 ​近江の旅に石仏、地蔵はつきものであるが、ここの大仏(おぶつ)は、高さ3.2m​もある厚肉彫りの弥勒像だといわれているが、みたところ阿弥陀像のようだ。しかし、圧巻。ここで4度目の乾杯をした。ムックの旅でもこんなしみじみした感興に浸れるものはそう度々あるものではない。古代最大の国内戦であった「壬申の乱」で悲劇の大友皇子が自害し、わずか5年で廃都となった近江京は、近年までその存在さえも顧みられることがなかったが、発掘調査が進むにつれ新事実が次々と報告され、ようやく現在その全貌が浮かび上がり始めた。近江は私にとってはなぜか哀愁あふれる土地柄である。
 天智亡きあと、大友皇子の妃で額田王と天武の間に生まれた十市皇女(とおちのひめみこ)は、近江京を離れている。
大友皇子の悲劇の死を予告するような悲しい旅立ちであった。皇后の倭姫も額田王も天智をしのぶ挽歌を残しているが、いずれも歴史のはざまからの呻吟を伝えているようで実に痛々しい。良弁僧正の石山寺開基。芭蕉晩年の恋物語。近松門左衛門が鎖国時代に南蛮人と隠れ住んだ三井寺の別所。百人一首で知られる吟遊詩人・蝉丸のこと。何か、それぞれにもの悲しさがあふれている。






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最終更新日  2021年12月24日 12時32分02秒
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