山の辺の道のとっつきにある崇神天皇宮跡とされる磯城御縣神社
『古事記』『日本書紀』は、神武以来崇神までの天皇を実在性の薄い存在としています。しかし、初期王権はその支配基盤も脆弱で、様々な大豪族の族譜を取り入れ作り上げられたと考えられ、それゆえに存在感が希薄なのです。しかし、火のないところに煙は出ません。その煙に実体を与えるものが金属史であり、地名学であると考えてきました。
私は、古代初期王権の歴史を金属史観・地名研究を手がかりに、神社仏閣、あるいは聖地とされてきた土地の記憶をたどる旅を続けてきました。名づけて聖トポロジーのきのこ。
この手法で、神社の杜(もり)のきのこの声を聴くことで私なりに断片的に古代史を跡付けてきたのです。
それは古代朱(辰砂)と青銅器の主原料である銅・錫・鉛と、たたら鍛造の砂鉄資源と深いつながりがあるとみてきました。
ようやくそんな視点を総合する好著と出会いましたので、まず手始めに、神武・崇神、そして様々な小国の王たちの史実がミックスされた東征の真実を探る調査のモデルづくりをはじめたいと考えています。この正月はその計画書づくりのための資料整理に明け暮れていました。
「東洋のガラパゴス」と呼ばれて久しいヤポネシアの列島史は特異な王権である天皇の歴史と深くかかわっています。わたしからみれば「天皇とは、まさしく人間界のはみ出し者、生物界のはみ出し者・きのこに等しい存在」なのです。
この古代史モデルが、暴走を始めた21世紀の地球の明日を生きるためのヒントをいささかでも与えることになればと願っています。🍄