夢みるきのこ
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橋本を抜け天野への途次、斜面いっぱいに梅林が広がる斜面を登り展望台より大きく蛇行する紀の川を望む。こうした大河は古代人には、龍と受け止められたであろう。ここからさらにぐんと奥へ回り込むと、かってくま野(奥まった場所にある平地の意)と呼ばれた天野の丹生都姫神社に至る。この紀の川は古代水銀朱(辰砂)が方々より露呈する宝の河で、丹生都姫はその水銀朱を採掘し交易する鉱山師たちの首長であったと思われる。 紀の川から離れて30分ほどくるまを走らせ天野に至ると絢爛豪華な朱塗りの社殿が突然現れる。海洋民の津守氏が奉祀した住吉神社と似通う輪橋が社殿の手前にそびえたつ。その輪橋の下には弁天をまつる池がある。 鳥居の向こうには重要文化財指定の楼門。こんな不便な土地にも関わらず高野山と一体化した信仰に支えられていると見え参詣者も絶えない。 本殿は、丹生都比売大神、高野御子大神、大食都比売大神、市杵島比売大神の四殿と若宮(手前の小殿=神社の発展に尽くした僧侶の行勝上人)からなる。たかのみこのおおかみは空海が寺域を求めてこの地を歩いていて出会った狩場明神。おおげつひめのおおかみは、穀物霊を生み出した大神。いちきしまひめのおおかみはここの祭神は宗像三女神のひとりで海洋民の奉祀してきた大神。すべて大神と呼ばれ畏れられてきたことはぜひ記憶にとどめておいてもらいたい。 若宮を拝する社叢林には紅白の日月貝といわれたひおうぎ貝と石英の大きな結晶が供えられていた。海浜部の参詣者が持ち来ったものであろう。 境内の境には光明真言板碑と石塔があつめられている。 この天野の地には、蕎麦処「凡愚」のそばには西行庵があり、こちらの庵は吉野山中のそれとは異なり、西行の出家後2年余り後に西行の妻と娘がこの地に移り住み、この庵の下の地で尼となりその生涯を終えたという。
またそば処凡愚の庭には院の墓と称する遺跡があり、これは鳥羽天皇に仕えた中納言の局の墓という言い伝えが残っているらしい。 高野山の麓には、このように無数の祈りの跡が残されていて後ろ髪がひかれる思いがする。
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