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カテゴリ:ムックきのこクラブ
丹生酒殿神社は丹生都姫命が高野明神と百二十の眷属を伴い、まずこの社のある榊山に天降ったとされ元宮に当たるとされる神社である。江戸期に著された『紀伊国続風土記』によれば榊山の榊は吉野の丹生川から彼らがこの地に天降った際に持参して植えたとされている。 訪ねてみると村社といった風情を保つとても地味な印象の社で紀の川の水で酒を醸したことにその名は由来する。とすれば水銀朱の神様の丹生都姫の時代が終わり田畑へ水をもたらす水神のミズハノメへと変化した時代の神社であるような気がしないでもない。 社殿は天野社と呼ばれた丹生都姫神社と同じく四殿造りである。おそらく先述した天野の丹生都姫神社も丹生酒殿神社も鎌倉時代に八幡信仰が確立された後に建てられたものなので宇佐八幡宮と同様の複数の神殿が並び祀られているがもとは丹生都姫命のみを祀る素朴な社殿であったように思われる。 両社の神々のうち誉田別や大食都比売は敦賀にゆかりのある応神霊であるし、市杵島比売は厳島神社が奉祀する宗像三女神の一人だからである。 境内には樹齢七百年を経たと言われる大銀杏樹があり、秋にはライトアップもされ、これを目当てに訪れる観光客も多いと聞く。 さらに社殿脇から社殿裏にあるとされる七尋の滝へ通じる道には鎌八幡と呼ばれ御神体のいちいの古木におびただしい古鎌が奉納されている。 さて梅の実がつきはじめる頃のこの地ではその樹下にハルシメジが堪能できるだろうが、浅春のこの季節ではカワラタケやハカワラタケやシハイタケ、シロカイメンタケといった硬質菌しかみられない。しかし、境内に大ぶりの椿の木がひともとみられたので、2週間日照りが続いた後ではあったがシーソーやブランコで遊んでいた山口ファミリーにツバキノキンカクキンを探してもらうことにした。ヨーイ・ドンではじめると、昔とった杵づかで小学時代きのこ博士と呼ばれていた尊さんや木歩さん、暖之くんもたちまちにして見つけ出してくれた。僕たちのきのこ旅は、この一年前に散った椿の子房から発生する可憐なチャワンタケ(写真下)と出会うことからはじまる。 尊さんの手のひらと比べてもらうとその小ささがわかると思うが、うずたかく散り敷いた椿の花片の間の黒々とした土くれの中からこのきのこを見出す楽しみはなかなかのものである。尊さんのように基部(宿主)となる去年の椿の子房を切り離さないようにやさしく採取することをお忘れなく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年03月18日 14時07分28秒
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