20歳の頃に知り合いになり意気投合して50年以上私たちのきのこ文化振興をクラシックギターで支えてくれた盟友の平島謙二くんのリサイタルの日がやって来た。
異界からもどってきて早々のよちよち歩きではあったが、何とか間に合い駆けつけてきた。半世紀以上にわたりクラシックギター一筋で研鑽を積んできた彼の喜寿(77歳)の節目のコンサートだ。
去年よりコンサートでつかいはじめたというテオドロ・ロペスをひっさげての記念すべきコンサートは、生涯現役の彼自身が謳っているように「進化」から「深化」をテーマにした大転換の節目の年に当たり、これを聴かねば死にきれない類のものであった。
スカルラッティのピアノのために作曲した「メヌエット」(ソナタ?)にはじまり、バッハの「ブーレ」、「ジーク」、「ガボットⅠⅡ」そしてターレガの「ラグリマ」、「アルハンブラの思い出」と一挙に弾ききった第一部は、もう何百回も聴かされてきた文字通り馴染みの演奏であったが、全く去年までの演奏スタイルから新しいスタイルに一新され、しみじみ傾聴するに価いするものに変貌していた。テオドラ・ロペスのギターは、去年はよく鳴る楽器だと思ったにとどまっていたが、第二部がはじまるとようやく腑に落ちる発見で満たされていった。ギターが演奏家の表現意図を的確に再現する名器に調教されていたのである。
J.イルマルの「サンバ風ロンド」、M.D.ブフォールの「南十字星」、映画『私はキューバ』で用いられたと聞く「11月のある日」、「ショーロ」、横尾幸弘の「"さくら"による主題と変奏」、そして彼の"おはこ"の、I.アルベニスの「アストリアス」で、二部はこの楽器が、演奏家の曲想を細部に亘りより深く歌いあげる魂を賦与されており、この1年の謙二君の精神的深化がそっくりそのまま再現されるものになっていた。
特にトレモロ中心の「アルハンブラ」と「アストリアス」のストロークの正確さは円熟の域に達していた。
私のきのこ星雲時代のイベントのスタートは、1987年6月の『プーシキンとヴィラ ロボスの夕べ』にはじまる。
ギター・平島謙二、プーシキン研究の浅岡亘彦、ソプラノ歌手・浅岡素子、ロシアの国民的詩人エセーニン研究の扇千恵、構成企画 扇進次郎。宝塚のベガ・ホールを満席にしたきのこ星雲のショウの最初の1歩であった。
それから35年を経た今宵のコンサート、この2時間余りに及んだ演奏会の間中、35年の歳月の重なりを一枚一枚もどいていくかけがえのないひとときを賜った。
またひとつ、死ねない理由が増えてしまった。
この恒例となったコンサートのもう一つの愉しみは当時から変わらぬ友誼を重ねてきた亡き娘の小学時代の美術教師のN先生(彼もギターの名手に変貌していた)。龍谷大 ギター・マンドリンクラブ出身のギターおたくのO君ほかと息災を確かめる機会にもなっている。演奏会の後、また来年生きていれば必ず会おうと約束して別れた。本当に生きていてよかったと思えた瞬間であった。