シュライン・ロードのどん詰まりはかってこのあたりがまだ原野だった頃にわたしが勝手に関電道と呼んでいた境界尾根に突き当たったが、やはり神社の痕跡すらもなかった。関電道とは電力会社が高圧線設置の為に切り拓いた調査用の道のことだ。ただ、私がいつも横切るシュライン・ロードの脇に歩行者の足休めのためのあずまやがあり、左右に燈篭が設置されている。これを拝殿と見立ててのシュライン・ロードであることで納得。休みがてら能登半島の方へ向いて祈りを捧げてきた。
裸木の向こうに小春の日がはしゃいでいる。独立国家とは名ばかりの島国・日本。波瀾含みの幕開けだが、今年はきのこ暦第五期のイヴの年。カワラタケ・ハカワラタケ・シロカイメンタケ・ノウタケ・マンネンタケ・ネンドタケモドキなど、冬なお活動を続けているきのこたちにも「頼むぜ」と声かけてきた。私たちが49年護り続けてきた神戸の北方異民族慰霊碑は、何よりも異類塚であることで分断の21世紀に一石を投じ続ける。グローバルサウスという外部や異を決して作らないと言うNo more 英霊、異すなわちヘテロの智慧に学ぶことを誓う碑であってこそ、その意味があるのだ。それをしっかりと伝えることがきのこ暦第五期8年間の主目的となる。いよいよ次年度に向け「月のしずく」も正念場を迎える。よそおいも新たに少しずつ賛同者を募っていきたい。