茶屋町一郎画伯の抽象日本画
きのこという目に見える微生物を通じて地球の明日を考える「月のしずく」も50号迎えるに当たり、筑摩版『宮沢賢治全集』を読み返している。
高校時代は山恋いとジャズと実存主義に明け暮れた日々だったが、かろうじてもぐり込んだ大学時代は、エールリッヒ・フロムの『自由からの逃走』にはじまり、筑摩が宮沢賢治全集を手掛け始めたのを機に全集を買い始め12巻揃えて読みふけった。それから筑摩は校本『宮沢賢治全集』を以後2度に亘り手掛け、様々な個人全集という形で出版史上に残る偉業を成し遂げたがそれがもとで会社が傾いたと聞く。同時期に『南方熊楠』全集も書店に並び始めていたがその当時は全集になるくらいだから有名な人だろうけど、どう読むのかなと思ったくらい私にはなじみのない人物だった。昭和42年(1967年)当時はそれが当たり前のことであったのが懐かしい。そのお蔭かどうかは知らないが賢治はポピュラーになり、日本の常識にまでなってしまい、彼の研究書や雑誌の特集がわんさか出て私がもっているだけでも50冊を優に超えるまでになった。彼を科学者として捉えた著作も多いが、私は彼は博物学趣味の人でいわゆる戦後日本の科学者一般とは無縁の人だと思っている。だからこそ広く列島人の共感を得たのだ。私は大学時代に賢治の花巻から小岩井農場、岩手山ほか、賢治の童話の舞台を訪ねて20日ほどかけて2度も岩手の方々を歩き回った。今思えば随分となつかしい気がしている。弟の清六さんも元気で突然の訪問にもかかわらず会ってくれたし、賢治の菩提寺ものぞいてきた。
賢治のような広義の博物学を手掛ける人たちを集めて地球の明日を考える会をつくろうと思ったのはその時の事だ。それにはきのこほどぴったりした対象は無い。80年代半ばにきのこと決定的に出会ったのはそのお蔭だと思っている。庶民の集いには記録が必須と考えて『きのこ通信』にはじまり、『MUSH』、『たけ取物語』、『きのこの手帖』、『ヘテロ』4巻、全国版サブカルチャー誌・隔月刊MOOK『きのこ』13巻、きのこと古代史の旅の記録『ムックきのこ』、そしてその集成としての微生物きのこを通して地球を考える『月のしずく』。そのニュースレターも50号を迎える。
この40年余りの短い期間に自然は壊滅的な打撃を受けて瀕死の状態となった。それは博物学趣味の人の間ではひっ迫した思いで感じている人も多い。そんなおりもおり斎藤幸平の『人新世(ひとしんせい)の資本論』が出て、いよいよNEO博物学の新たな地平も切り拓けた感じがしている。新しい思想には新しい言葉がともなうものであるが彼の著書にはそれが随所にちりばめられており、50号以降は彼の『人新世の資本論』と、白井聡、松本圭一郎、岸本聡子、木村あや、藤原辰史共著の『コモンの自治論』を必読書としてその戦略は全く異なるが純粋に個人としてアーティストたちを中心に世に抗う姿勢を打ち出すものにしていきたいと思っている。
目に見える微生物・きのこは異であることで特殊であり、かつ普遍的な意味をもってときおり顔をのぞかせる。地球の根源的な危機の時代にさしものきのこたちも断末魔の声をあげはじめており、50号よりはそのことを個人の倫理にアートとして訴えていく月のしずく本来の内容にしていきたいと思っている。のんびり構えている間に40年の歳月が流れてしまった。
とにかく今出来る事から始めたいと思っている。その意味で今年の昭和の日に第49回を迎える異民族慰霊祭は重要なプレイベントとなりそうだ。