今年のクリスマスまでの間、不在となった可憐な女神像のことを懐かしく振り返りながら、1月17日より「良弁伝」を一休みして月のしずく50号に向けて10冊ほどの書物を再度ノートを取りながら精読している。「良弁伝」もすでに10万字を超えたが、完成にはほど遠く道鏡事件への宇佐神宮の対応と平安遷都へのキーマンとになる和気清麻呂の記事を書きとどめると良弁卒去へと軟着陸できる。ここまできてはじめて全体の構成の組換えと推敲の作業を余すのみとなる。才能の無さを痛感しつつも精一杯の作業をとにかくやりおおすことに全力を傾注するが、この20日余り賜った空白の時間を、50号以降の「月のしずく」の読者とともに新たな一歩を踏み出すための作業に没頭できることを単純に喜んでいる。
斎藤幸平の『人新世の「資本論」』を中心にマルクス・ガブリエルの「なぜ世界は存在しないのか」(清水一浩訳・講談社選書メチエ)と「アートの力」(大池惣太郎訳 柿並良佑協力・堀之内出版)それと意外に思われるかもしれないが、岩田文昭の最新論考「浄土思想」(中央公論新社)の書評とともに、これから残された時間われわれがやるべきことはなになのかを一緒に考えていきたい。
私が40年以上も前にきのこと出会って以来考え行動してきたたことの集成の作業がこれからはじまる。
古代以来の渡来民・秦氏たちの思いが良弁を筆頭に空海、最澄、法然、一遍、世阿弥と流れ、芭蕉・蕪村へとつながり21世紀の目に見える微生物・きのこへと集約されていく根拠を、そしてなぜそれらが異を冠した異民族慰霊祭にまでつながっているのかも可能な限り言語化していきたい。その思いはすでに戦後70年に当る2015年に上梓した太平洋戦争外伝『光るきのこたちの賦』にしたためているので必要な人には差し上げる。残部僅少なので早めにどうぞ。
そんな"きのこのたわごと"に過ぎない私の思いではあるが、「月のしずく」の読者のひとりでも多くの人に伝わればと願っている。そして可能なら今年の昭和の日の祝日4月29日に斎行される第49年度の「異民族慰霊祭」にも足を運んでいただきたい。